依存しない生き方 [日常]

「強い」ということは「依存しない」ということだ。

依存せずに、生きることができるということ。

他人は何もしてくれない。

今までは運がよかっただけだ。

依存しないためには、圧倒的な「気づき」が必要だ。

気づくためには、本物の教養が必要だ。

生きる力とは、この教養のことだ。

両親は、私にその「生きる力」を授けたかった、

現在からでも、間に合うかな?

勉強したい。




おせっかいはやめよう。 [日常]

幼少期の環境があまりにも恵まれていたため、

世界はゆるぎなく善人ばかりだと、そう信じるにたる人生だった。

疑う必要もなく、できることはすべておのおの実行することが当たり前の世界。

そんなことは、当たり前だと思っていた。

話せばわかってもらえるに違いない、とそう思っていた。

けれど、そんなのみんな自分の思い上がり。

果てしない甘えの世界。

自分がおかしいことにはなかなか気づかない。

他人はどこまでいっても他人だ。

そんな当たり前なこと。

わかってもらえるとおもう自分を自分で好きになろうとしていただけだ。

母がいなくなった時に、母は先に死ななければ、

現在の自分の悲しみを、母の大切な人の数だけ味わうのだ。

それは、あまりにも酷だ。

だから、順番はこれで止むをえない、と思った。

そう思って痛みを軽くしようとした。

けれど、それは欺瞞だ。

私は、死の恐怖と罪をごまかしただけだ。

本当は納得などできていない。

消化できないから転嫁しただけだ。

母を他人として、整理したのだ。

そうしなければ、自分を含めたすべてを呪いたくなるからだ。

けど、その欺瞞は現在、私を徹底的に苦しめる。

ごまかさずに、すべてを呪うべきだった。

性悪な世界を直視するべきだった。

世の中は残酷で救いなどない、ということを。

受け止めるべきだったのだ。

真実は、暗黒で他人は欺瞞に満ちていて、自分も等しく欺瞞に満ちた存在。

そのことと、対峙して抗いたい。

他人は他人だ。期待はしない。

もう、自分の中の正しいと思ったことを薄ら笑いのなかで、誤魔化すことはやめたい。

私は、母親の死から救えなかった自分を許さないし、

他人に尽くして、その罪滅ぼしをしてきた自分の心の弱さも許さない。

他人へのおせっかいで、誤魔化すことは、もうやめよう。

向かい合って抗っては損をすることはわかっている。

けれど、こんな風に誤魔化し続けると、たぶん、おかしくなる。

他人という存在への甘え。

止むを得ないという甘え。

あらゆる甘えを捨てる努力が必要だ。

屈強な精神的な自立が急務だ。





3939くりすます [日常]

ふぁみまのこらぼはせっそうがないけれど、

これは楽しそう、とおもった。

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ぐうのねもでないくらいかわいい。

こんなかわいいケーキもったいなくて食べることできない。

値段は3939円。

ききじょうず [日常]

ソクラテスしかり、聖徳太子しかり、聞き上手だ。

物事の本質を知りたいと望むのならば、他人のハナシに耳を借すこと。

ひととおりハナシを聞かないと、「ハナシにならない」ことすら分からない。

何を言っているかわからない人(自分で何を言いたいのかわかっていない人)や、

借り物の言葉で「おうむかえし」しかしない人は、

いわゆる「ハナシにならない人」

こういう人からは、物事の本質は学べない。

そう内心思っていても、笑顔でハナシを聞き、何も意見を述べなければ、

それ以上会話をしなくてもすむ。

そんなふうにハナシながら、相手を慮り「自分の無駄な時間を少なくできる」スキルを持つこと。

それも合わせて「きき上手」なのではないだろうか?

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酔いどれべからざるモノ [日常]

酔いさんが、酔いさんの友人とともに、私と同じ駅で下車をした。

「飲みに行くぞ!ゴラああ!」

と、お誘いを受けたので、ノリで

「走って逃げた。」

50メートルほど走って、自販機の裏に隠れ

「おいかけてきてるかな?」

とワクワクして振り返ると、人もう影ひとつなかった。

ガーンΣ(゚Д゚|||)

最近のやんぐは、「トムとジェリー」を見ていないせいか、

「逃げる相手はおいかけなければならない、」という原則が理解できていないようだ。

少し、淋しい晩秋の夜である。

全てを捨てたい。 [日常]

会社の書類を全て片付ける。(物理)

どうせいらないものばかりだ。

物がなくなると、気持ちがスッキリする。

必要なモノはいつも最低限度でよい。

部屋も何もないほうがいい。

最低限のモノだけで、あとは全てゴミ箱に直行させる勇気が欲しい。

「モノを大切にすること」と、

「もったいない」と思うことは全然違う。

自分にとって不要なものは、そこでその縁を切るべきだ。

失うものは、いずれ失うもの。

無理に自ら捨てる必要はない、とおもっていたけれど、

これからは、自分から捨てていかねばならない。

古いもの、不要なものから、大切なことだけを残して、

他は全て捨てて更地にして、

そこに、新しいものをつくる。

私は捨てられない子だった。

「もったいない、もったいない。」とそればかり。

不要なものは捨てないと、新しいものを作れない。

そのことのほうがもったいない。そうおもうのだ。

捨てることと、粗末にすることはちがう。

大切に捨てたい。


嫌なことを忘れる為には。 [日常]

嫌なことがある。

早く忘れたいと願う。

そう願えば願うほど、まったく忘れられなくなる。

人間の記憶というものはそういう風にできている。

では、嫌なことを忘れるためにはどうすればよいのか?

簡単だ。さらに、とんでもなく嫌なことが起こればよい。

意地の悪い答えのようだけれど、これが覿面。

もうひとつは、転換。

まったく違うことに夢中になること。

夢中になれば、そんないやなことなど、思い出すイトマもない。

けれど、おっさんになってくると、何かに夢中になることが、

ばかばかしくなってくる。

だいたい結果が予想できるからだ。

だから結局、些細な嫌なことの積み重ねのなかで、呼吸をすることになる。

そうやってどんどん心が摩耗してゆく。

そうやっていつも不満そうな顔をして、そのうち召されるだろう。

お金も安定の約束もないけれど、夢がある。

お金はあり安定しているけれど、夢はない。

今ならまよわず後者を選ぶ。賢明に。

けれど、心のどこかで、「全てをなげうって必死に頑張ってみたい、」と思う自分もいる。

でも無駄骨に終わることがばかばかしいと思うのだ。

懸命に頑張ろうが、半分寝て過ごそうが、また日は昇る。

どうせ最後は死ぬのに、頑張ってどうすんの?

厭世的に心が根腐れしている。

多分、みんなそうなのだろうなあ・・・。


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くたびれべからざるもの [日常]

くたびれたおっさんにはなりたくねええ!

そう思っていた若かりし自分にチョー土下座。

現在進行形で、私はくたびれている。

起床時からして、もう体が、あすとろん。

鉛のように重い。

午前中、騙し騙し頑張って、お昼を食べて、もうそのまま

「深い海の底に落ちてしまいたい、」と思う。

帰宅すると、なにもできずに、そのまま寝入ってしまう。

休んでも、休んでも、疲れがとれない。

その昔、くたびれたオヤジをダサい、と思ってごめん。

諦めているオヤジを、ダサいと思ってごめん。

やる気がないのと、やる気が出ないこととでは、全く意味が違う、ということに気づいた。

どうにもならないものなんだなあ。

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通勤途中のベン2 [日常]


通勤途中。

秋風が心地よい。

こんな日は、屋上あたりで寝転がりぐずぐずしたい。

けれど、勤め人にそれは許されない。

とぼとぼと会社へ向かう。

「ぶぶぶぶぶぶぶ」

なんだか、頭の悪そうな音を立てて、黒塗りのベン2が私の脇を通る。

大きな幹線道路へ向かっているようだ。

型遅れの山口ナンバーのその車は、車内で音楽をガンガンにかけている様で

外まで音漏れしている。

満員電車で「イヤホンから音漏れしているバカ野郎」を彷彿とさせて最高に不愉快だ。

ふと、見やると後輪がパンクしている。

ベン2は、FF。

前輪駆動なので後輪のパンクは、操舵性に即影響はない。

ざまあ。

そうおもい見送るベン2の後部座席リアウインドウに

箱ティッシュの姿を確認してしまった。

もしかしたら、ファミリーカーかも知れない。

ちびっこが乗っていたならどうしよう。

多分パンクに気づいてはいない。

ちびっこに罪はない。

パンクしていることを知らせるべきか・・・

もしかしたら、やーさんがでてきて

「あーん!にいちゃん、ころすぞ!あーん?」

とよたられる可能性も高い。

型遅れのベン2は、よくみるとところどころ痛んでいて

戦場でボロボロになった老兵士のようにも見える。

どうしよう、教えてあげたほうがよいのだろうか?
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食い逃げってどうよ? [日常]

お金がない!

というユージ・オダ氏の主演作品では、主人公、萩原健太郎が、おとうとを2人連れて、

焼肉屋に行き、たらふく食べたあと、

「スクランブルだー」と声をあげ、ダイナミックに食い逃げをする。

私の最近のゆうげは、すきやさんではなく、なかうさんに足を運ぶことが多い。

てゆーか、ほとんど、なかうさんである。

なかうさん→券売機で料金先払い

すきやさん→料金は帰りしな

このシステム。

すきやさんで、1月ぶりに牛丼を食べ、スタイリッシュに「ごちそうさま」と店を出ようとドアに手をかける。

「お客様!」

店員の尖った声が私に刺さる。

すぐにきづいた。

カネ、はらってないやん!

「失礼」

私は、めっさ落ち着いたふりをしてエレガントに財布から500円玉を出す。

ラスベガスで、自分のカードにチップをレイズしているときを妄想して、演じる。

アブネー。食い逃げするとこだった。

チョーアブネー。

なんなの、このすきやさんのトラップ。

こうゆうジャンク系のフードは基本先払いでしょうが!

私の、スタイリッシュな対応に店員は見とれていたようで、言葉がない。

けっして、あきれていたわけではないはずだ。
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