ふぁみ通から見える未来



高校3年生


進学と就職で


グループが別れる。


わたしは、進学。


通っていた高校は新設進学校。


毎日、朝7時から課外授業がある。


知識を詰め込み、志望校を、その先の未来を目指す。


夏ともなればみなピリピリしていた。


そんな大変な受験戦争の最中にありながら


わたしの頭の中はゲームしかなかった。


剣を持って、野原や洞窟を散策。


地球を守るために、戦闘機に乗る。


部屋で勉強をするふりをしてゲーム。


塾の帰りに、10円玉だけが入っている


巾着をを持って10円ゲームセンターへ。おう


電子の世界に魅了される。


眼前に広がる美しい景色に心を奪われる。


愛読書は「ファミリーコンピューター通信」。


少ないおこづかいではあったけれど


ファミ通は別腹。


ファミ通は隅から隅まで、その記事をおろそかにはしない。


他人の作ってくれたものを楽しむ日々のなか、


「なにかをつくる仕事」をしたい、と密かに思っていた。


ファミ通を読みながら、いつもそう思っていた。


ファミ通の立ち読みは許さない。


毎晩、ファミ通を見ながら眠る。


ある日


その紙面に、セガの「社員募集」の広告を見つける。


これだ!


と思った。


「あなたの想像力が未来をつくる」


とかそんなコピーが走っていた記憶がある。


「これしかないだろう。」


わくわくする。


大丈夫だ。


コンピューターなら、たくさん持っている。


ファミコン。


PCエンジン。


MSX。


セガにいたっては、マーク3をもっている。


任天堂やナムコやコナミよりも


セガが大好きだ!って


心から言えるよ、本当だよ。


その広告を見た次の日、


私は、友人たちに、その熱い胸のうちを伝える。


「は?馬鹿か?」


「おまえ、死んだほうがいいぞ!」


「マシン語わかるんか?」


「ベーシックはできるんか?」


「ちゃんと勉強したほうがいいぞ。いろいろ。」


「まじめに生きたほうがいいぞ。」


謎の呪文を携えて


温かい言葉が返ってきた。


「そもそも、おまえ、文系やん。」


数学がハクション大魔王並に


ダメなわたしは、私立文系。


まったく思いがけない自分のポジションに


一瞬うろたえたけれど


「ゲームのことは、これから覚えますので


よろしくお願い申し上げます。」と


万が一の可能性にかけ、


自身の思いの丈を載せて、セガの募集に応募する。


季節は巡り。


落ち葉と粉雪の季節を過ぎ


桜が散る。


ちゃんと受験に失敗して、


ふと気が付くと麻雀を覚えてしまっていて、


自分の人生は予想どおりの展開を迎える。


あれから、30年。


ふと思うことは、実は


ファミ通も大好きだったのだから、


アスキーを目指せばよかったのでは。


その発想がなかった。


いつか、ぼんやり、そちら方面にいければいいな


くらいの、ゆるゆるの感覚しか持ってなかったから。


モノをつくる仕事がしたかったはずなのに


気が付くと手役ばかりつくって、今日に至る。


どんな道程であっても、たどりつく今日、が


このようなこの日であるのなら、


やりたいことは、後回しにせず


全部やっておいたほうがいいよな。


と、改めて思った。


できるだけ、悔いのないように生きないと


きっとうまく死ぬこともできないだろう、と。


後回しにしてもいいこと、っていうのは


きっとどうでもいいことなのかも知れないけれど


これからは、人生の残り時間も少なく


後回しにする「後」がなくなってゆく。


年を重ねるごとに、できることは減ってゆく。


いつか、動けなくなり目を閉じる日が来るのだ。


悔いるのは、死んでからで良い。


これからは、(できるだけ)年甲斐もなく


「どうせ、ダメでもやってもみよう。」


を座右の銘にしたいと思う。


いまさらだけど。











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らーめんはうす


人口100万人の政令指定都市として、
近隣五市の合併によって生まれた。
北九州市。
高度経済成長期をノリノリで駆け抜ける。


北九州市の小倉北区。


旦過市場。


魚町銀天街。


活気に満ちている。


そのせいか



通っていた小学校は


商売人の子供ばかりだ。


8歳の頃。


土曜日のお昼は外食。


小学生ながら贅沢だとの声もあるだろうけれど


仕事をしている家庭の事情で


給食のない土曜日は、どうしても


わたしのお昼の準備はできないのだ。


午前の授業が終わり、


母親から、500円札をもらう。


焼き鳥屋のSくん。


魚屋のMくん。


いっしょにお昼を食べにゆく。


手持ちは500円。


Sくんが、新しいラーメン屋ができた、というので


その日のランチはラーメンに。


ラーメンなんて、大人の食べ物。


屋台でしか食べられない代物だ。


それを、お昼食べる、なんてめちゃナウいじゃん?


その新しいラーメン屋の名前は「らーめんはうす」。


わたしは、母親に誇らしげに


ラーメンを食べにゆくハナシをする。


平仮名の店名に親しみを感じながら、店内へ。


らーめんは280円


おにぎりが2つで、80円


チャーシューメンは330円


わたしは、らーめんとおにぎりをたのみ


店内を見回す。


ゆるゆるのクロス。


手書きのメニュー。


箱のティッシュがそのまま置いてあるあたり


高級感はゼロ。


オレンジで塗られた店内はセンスゼロだ。


新装開店の花輪が出ているのに、店内に客は誰もいなかった。


「ぼうず、らーめんできるまで、漫画でも読んでなさい。」


小奇麗な格好をしたマスターがにっこりと本棚のほうをみる。


そこには、少年ジャンプが並んでいた。


俺たちは、そこに並んでいるジャンプを手に取り、読みあさる。


ジャンプなんて、大人の読み物。


ドキドキしながらページをめくる。


キン肉マンの連載が始まった頃だった。


夢中で読みあさる。


やがて、らーめんがでてくる。


「ほら、サービスじゃ。」


マスターはゆでたまごをみなのラーメンに放り込んだ。


口にした瞬間、なぜ、この店に客がいないのか、理解できた。


「う、うーん」


「おれの知ってるラーメンとちがう・・・」


けれど、もしかしたらこれが大人の味、本当のラーメンなのかもしれない。


正直、ビミョウな味なのだ。


けれど、昆布と明太子のおにぎりはめちゃ美味しかった。


ほかにも、高菜のおにぎりがある様子だ。


マスターがわれわれの反応を見ている。


視線を感じる。


ラーメンを食べ終わりジャンプを閉じて


われわれが席を立とうとすると、


「漫画、ゆっくり読んでいきな。」


とマスターは嬉しそうに笑う。


そして、われわれが店をでるときに


「ありがとうございました。」


とマスターの明るい声が店内に響いた。


その夜、わたしは母親に、「らーめんはうす」での


出来事を手振りを加えて伝える。


漫画を読ませてくれたこと。


サービスでたまごがでてきたこと。


おにぎりが美味しかったこと。


なによりも、マスターにちゃんとお客として


扱ってもらえたことが、うれしかった。


母親は、いつものように


「よかったね。」


と優しく微笑む。



それから、毎週われわれは、らーめんはうすに通う。


常連、ってやつだ。


クラスのみんなにも、担任の先生にも


らーめんはうすのハナシをする。


正直、ラーメンは美味しくない。


けれど、それは私たちが子供で、まだラーメンの味を


知らないからだ。


陳腐に見える店内だけれど、


ラーメン屋というより、マクドナルドに近い雰囲気。


ゆっくりした気持ちになれるのだ。


それから一月ほどたった、とある夕方。



うちは母親が姉妹で商売をしていた。


2階が洋装店、1階が喫茶店。


わたしは、たまに1階の喫茶店で


アイスミルクを飲んだりしていた。


狭すぎる店内だけれど、


とにかくサラリーマンが多く


いつも盛況だった。


タバコの煙の中の笑顔。


わたしのとなりの座った新聞記者らしい


サラリーマンが、吐き捨てるように言う。


「あんな、まずいラーメン食えたもんやない。」


「よく、あれで店を出せたもんじゃ。」


話を聞いていると、どうやら


われわれの「らーめんはうす」の悪口を言っているようだ。


「置いてある漫画も汚いし。」


「マスターは無愛想だし。」


残酷に続く言葉に包まれ、


わたしは、涙がぽろぽろ出てきた。


漫画が汚いのは、私たちが乱暴に読み漁っていたからだ。


マスターごめん。


ラーメンだって、不味くはない。


ラーメンはともかく、おにぎりはめちゃうまいし。


マスターは優しい。


小学生のわれわれを、ちゃんとお客として、大事にしてくれている。


泣いているわたしに気づいた母親が、


わたしの頭を優しく撫でて


「おかあさんも、らーめんはうす、


一回いってみようかね。」


とまた優しく微笑んだ。


それから、わたしは、どんなに対応が悪い店でも、


悪口を言うことだけは、絶対にしないように気をつけている。


味について、不満があっても


余計なことは言わない。


自分にあわないのであれば、行かなければよいだけだ。


それから、奇しくもらーめんはうす、は20年くらい営業を続けていた。


思えば、


らーめんはうす、のらーめんは、さっぱりしたとんこつ味で、


屋台ラーメンが正義の当時の小倉では、


人気がでなかっただけだった、のだ、と思う。


あれから40年。


もはやらーめんの味は覚えていないけれど


マスターの笑顔は、現在でも、鮮明に覚えている。


優しい記憶は、永遠に色褪せることを知らない。




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