脆弱な人類の誤謬




自宅ですごす。


積んでいた本を読む。


こりゃいいわい。


と、おもっていたのは、ほんの少しのじかん。


ストレスがたまってなんかおかしい。


ああ、こんなにも脆いのか、と思う。


てんとう虫や、カナブンは


雨が続けば、葉っぱの下で何日でも我慢できる。


単体でへいちゃらなのだ。


けれど、人間は違う。


どこまでも社会的動物で


他者との適切な関係がないと


自我が保てない。


他人がいないと、自分の存在を保てない。


そう考えると、昆虫より脆弱な存在かもしれない。


ふと思う。長い人生で、こんな風な


静かな時間って実は結構貴重かもしれない、と。


ひとりでいると、思考は深化する。


わたしは、ふと本を閉じ、目を閉じ


これまでの歳月を振り返る。


きっと、今回みたいな状況でなければ


ゆっくり人生を振り返る時間は、


もうその「自分にとっての未来の時間」を


失ってしまってからだ。多分。


そう考えると、この自粛の時間も尊く思える。


未曾有のウイルスと、人類の戦い。


我々は、孤独と不自由に耐え、


高尚なおのおのの精神を磨いて戦う。


それこそが教養で、昆虫にはないわれわれの最大の武器だ。


復活と再生のその時間を待ち望みながら、思考を重ねよう。


どうか、理不尽な苦境に


未来を絶たれることなく、


乗り越えることができますよう。


国難なのだから、激痛が一部のひとを襲う社会ではなく


その痛みをみなで少しづつ分け合うことができるとよい。


第3次産業は、人類の文化。


健康で文化的な最低限度なくらし、には欠かせないものだ。


生きていればよい。


ではない。人間らしく生きることが大切なのだ。


一部の業種の方のみが


地獄に落ちるような社会であってはならない。


おれは、死にたくなし、失業もしたくない。


だれかに死んで欲しくもないし、失業して欲しくもない。


みんな同じ気持ちだと思う。


みんな同じ気持ちだから、きっとだいじょうぶだ、って思いたい。















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