明日のかつ丼

資格を取り、保険代理店をはじめる。


実家の建築設計事務所との兼業。


兼業の保険代理店だ。


名刺をつくり、機会があれば、と
控えめに日々を送る。
::::
かつ丼が大好きだ。
多分一番好き。
蕎麦屋に行くと、まずかつ丼。
わたしの脳内にはいつしか
「かつ丼マップ」ができあがっているほど。
いつも見慣れている
家の近所の景色のなかに
見慣れぬ看板をみつける。
黄色の下地に少し跳ねた黒い文字で
「かつ丼」と読める。
私は、慌ててクルマをとめ、店内へ。
カウンター席が4つに
テーブル相席が2つ。
狭い店内の壁には
「かつ丼」550円
「かつ丼大」650円
の2つの張り紙。
そして調理カウンターのむこうに
まだ慣れない表情の「店主夫婦」の不器用な笑顔。
私は「かつ丼大」を注文。
出てきた「カツ丼」はめちゃめちゃ美味しかった。
友人、知人に宣伝しまくり。
私は俄然通い詰める。
昼も夜の「かつ丼」なんて日もあるほど。
通いつめているうちに
常連との会話が聞こえてくる。
「かつ丼」を食べて帰るだけの自分の耳にも
このお店の色々な情報が入ってくる。
「借金まみれで店を開いたこと。」
「人生を賭けていること。」
「かつ丼を愛していること。」
「いつか、大きなカツ丼屋にしたい、ということ。」
そして
「家賃もかつかつで保険にもはいっていないこと。」
どうやら、店主は火災保険は保険料が高額で
保険の加入はむつかしいと判断しているようだ。
「そんなことはない。この規模の店舗なら
保険料はそんなに大きくないですよ。」
と喉まででかかったけれど
大切なプライベートエリアである「かつ丼」の席で
仕事のハナシをすることが、
なんだかとても下世話な気がして、
話しかけることができなかった。
火災なんてそんなに簡単に発生しないけれど、
「かつ丼」は「かつ」を油で揚げる。
安普請の店舗なら、そのリスクは少なくはない。
けれど、その時の私は、保険の
「仕事のハナシ」を仕掛けることができなかった。
生活には全く困っていなかった当時の私は
保険の契約が欲しいわけでもなく
「自分が仕事を欲しがっている」と
思われることが嫌だった。
「余計なお世話だ」
と自分に言い聞かせる。
相手のことを真剣に考える想像力もなかったし
また、他人に話しかけてゆく「勇気」もなかったのだ。
数ヵ月後。
消防車のサイレンの音が鳴り響く。
もしや、と思い音のする方向へ。
モクモクとあがる黒煙の隙間から
黄色い「かつ丼」の文字が見える。
その景色の中に、肩を落としている
店主夫婦の姿がみえる。
「あ、あ、あ」
わたしは、とてつもない後悔に襲われる。
声をなくし、ごうごうと燃える炎と
黒煙を瞳に映し続ける。
結局、店主は火災保険には加入しておらず
その「かつ丼屋」は火災によって閉店となった。
翌日の朝刊で知る火災の理由。
「油がとんだ」。
美味しい「かつ丼」を描くために
頑張った油が、うっかり燃え移ったのだろう。
私は、もう2度とあの「かつ丼」を
口にすることができなくなった。
あの、めちゃくちゃ美味しい「かつ丼」を
「かつ丼」の明日を
あの店主の未来とともに 永遠に失ったのだ。
リスク管理は店主の仕事。
だが、私とあの「かつ丼屋」には
繋がりがあった。
「かつ丼」を通して大切なものはそこにあったのだ。
そのことをおろそかにしたことへの、私への罰なのだ。
あれから、25年。
以来、例え相手に嫌われたとしても
「伝えるべきことは、伝える」ようにしている。
相手と、そしてなにより自分の明日を失わないために。
とはいえ
「伝え方が下手くそすぎ」て、うまくいかないけれど。

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