まつりのあと [日常]

高校生のころ。

授業が終わり、立ちこぎで家にかえる。
ご飯を食べて、速攻でゼルダ。
テスト前になると友人から貸してもらえる
ディスクシステムの織り成す世界は、
まさに、夢のようだった。
限られた時間での戦いは、
臨場感満点だ。
戦いの成果を明日、学校で
みんなに話したい。
ネットもケータイもない時代。
夢のような戦いのあと
そのまま夢の国へ。
某外資系の保険会社の代理店研修生だった頃。
仕事が17時に終わる。
高速バスを降りて玉突き屋さんへ。
5先のナインボール。
限られた時間での貴重なビリヤードは
重さが違う。
明日も早いから、一時間しか突けない。
仲間の弾けるような笑顔のなか
見つめる手玉は、
優しく自分を見つめてくれている
そんな気持ちにもなれる。
夕方20時に、千草麻雀教室へ。
半荘一回、打てるか、打てないか。
観戦でもいい。
そのたった一回の半荘を何度も反芻する。
考えて考えて考え疲れて眠りにつく。
明日の麻雀がまた楽しみになる。
見えない階段を着実に、のぼっている気持ち。
仲間の真剣な眼差しに、
奮い立つ情熱を感じる。
仕事が終わったあとは、
好きなことをほんのすこしやりたい。
好きなことだから、ほんのすこしでいいのに。

自分にとっての幸せなこととは、

実は、ほんのささやかなことばかりなのに、

現在は、何ひとつ叶わない。

大切なものは、いつも

失ってから気づく。

ずっとその、繰り返しだ。

勤め人になってから長い間

緩慢に生きているから、

緩慢に生きてきてしまったから

もう何をどうすればよいのか、

わからない。

同じことの繰り返しの日常しか

持てないから、時間がたつことが

速いったらありゃしない。

自身の人生を忸怩たる思いで

振り返ることが多くなってる。


祭りのあとの、寂寥感。

それに重ねて

これまで経験したことのない

身に詰まる切なさに包まれる。


そうか、老いる、とは

そういうことなのか。


そのさきの先のささやかな楽しみすらない、

先の楽しみがない、

 

きっと、それは、

果てのない絶望への運命。


嫌だわ。

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