やってらんない

町に商売にでて
遅くなったので
泊まって帰ることにした。
天気の良い朝。
帰宅すると、
家族はミナゴロシにされていて
息のある妹は鬼になっちゃってたんすけど。

置き換えてみて、
ここから、こんな地獄の底から
鬼になった妹とかを
なんとかしようなんて思えないし
思わないだろう、と思った。
リアリティがない、と。
「鬼滅の刃」をはじめて読んだとき
最初はそう思った。

なんともならない絶望のなかでも
何にもしないよりも、
なんとかしようと頑張るほうがよい。
もしかしたら
ひょっとしたら、
光に届くかも知れない。
そういう話だった。

「それでも、
なにもしないより、よい」
そう思えることは、若さの特権。
「エンディングが想像つくから
得することしかやらない」
というのは、老いている証拠だ。

鬼滅の刃に共感できなかった、自分は
いつしか、少年ではなくなり
少年ジャンプを読む資格を失っていたようだ。

少年漫画の使命は、少年に
「困難に立ち向かう勇気を与えること」
これに尽きると思う。
いつも忘れてしまうけれど
「勇気」
それこそが
どんなときも失ったはいけない
大切な矜持なのだ。







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臆病なはりねずみ

定食屋さんの前。
おまわりさんが事情の聴取をしている。
水をかけられた男性が
恨み節を重ねている。
マスクをしていなかった男性が
注意を受け、水をかけられた、とのこと。
悲しい、いや哀しい景色だ。
見苦しくて、目を伏せたくなる。
理由はどうあれ、
他人に水をかけるなど、
動物園での光景か、と。

コロナというよくわからない脅威に
怯えて、なんだかよくわからなくなっている。
正しい真摯で紳士な対応など
持ち合わせるゆとりは皆無。
怖くて、不安で落ち着かなくて
他人を過剰に攻撃する。

覚悟を決めよう。
雨の日や雪の日に
その空模様を呪ったところで
何の解決にもならない。 
傘をさすなり、悪天候に備えることより
他にできることなどない。
コロナという厄災への
怒りややるせなさを呪っても
どうにもならないことなのだ。

自分の身を自分で守る。
それをそのことを
他人に求めても哀しくなるばかり。

コロナに言い訳せず、
できることをやろう。

出かけない、ではなく
どのようにでかけるか?

会合は控える、ではなく
どのように会合を行うのか?

質を問うことで、
人は品格を取り戻すことができる。

怯えて、守りにはいると
どんどん臆病になり、
何も解決することができなくなる。

コロナ

思うことは、みなある。
言いたいことは、山ほどある。
不平や不満、抱えきれないほど。
でも、呪っても風景は変わらない。

コロナに打ち勝つということは、
社会が人間らしい柔らかさを
失わないことではないだろうか?

他人を傷つけると自分も傷つき
いずれ他人から傷つけられる。
身を守るための全身のとげは
自分もふくめてすべてを傷つける。
それは、コロナのせいではなく
ひとの弱さのせいだ。

マスクをしてなくて、水をかけられたひと。
おまわりさん。
店内にいたひと。
お店のひと。
そして、水をかけたひと。
みな、哀しい気持ちになる。

ひとの弱さが、露呈してゆく。

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