無敵の力は僕らのために。 [漫画]

マジンガーZは、永井豪の代表作だ。

バイオレンス・ジャックや、デビルマンも捨てがたいが、

私はやはりマジンガー推しだ。

ロボット物を確立させたその功績は本当に素晴らしい。

神にも悪魔にもなれるそのマジンガーZの力を、

みんなの為につかうことを決める主人公、兜甲児(江戸ッ子)。

神になりたいのではない、人間として、人間の力になることを選択する主人公。

そう、「無敵の力は僕らの為に」という奴だ。

その信念が、マジンガーを、いや兜甲児(江戸ッ子)をヒーローに足る存在とした。

2014年新年から、新番組が始まる。

往年のロボット作品のオマージュ。

その煽りのコピーに時代の流れを感じた。

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パラダイス・ロスト [漫画]

日高トモキチの麻雀漫画。
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とにかく、独特なムードが大好きだった。

機会があればご一読くだされ。

友人や家族たちの笑い声のなかで眠りにつきたい。

友人や家族たちの笑い声の中で目を覚ましたい。

人間は生まれた瞬間、たくさんのものを持っている。

素直さ。

優しさ。

愛情。

けれど、時を重ねるにつれ、ずるく卑しく保身をはかる。

そうしなければ生きられぬ。

そうして、生まれた時の無償の愛情をも見失う。

失われたモノは、永遠に失われてたままなのだろうか?

心より信頼できることの心地よい幸福。

信頼されることの心地よい幸福。

それが、どういうものなのか、もう全くわからなくなってしまった。

コミニュケーションも、テンプレート気味だ。

愛のない人間である。

感性も何もかも腐りきっている。

このままでよいのだろうか?

育ちの良さは、人生を照らす。 [漫画]

昔からその男が大好きだった。

親に、「豚と間違えられて」捨てられ、

それでも、正義のため平和のため、努力する。

他人にどう思われようが、そんなことは瑣末なこと。

「他人のために、役に立ちたい。」

私の大好きな、宮澤賢治を彷彿とさせる。

奇跡の逆転ファイター。

貧しいほったて小屋に住み、お金も全然ない。

けれど、魂だけは、毅然と誇り高く汚れない。

これは、やはり、王子だからだと思う。

貧しい生まれではないからだ。

育ちが貧しくないから、貧乏をしても、他人に後ろ指を刺されようとも、平気なのだ。

品位は、その魂に宿り、環境に陵辱されない。

それはいくら高価なものを身辺に取り揃えたところで、身に纏うことはできない。

物語の終盤に、彼は王になる。

弱い者の苦しさや、痛みをよく理解できる「優しい王様」に。

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一人称は、「わたし」。

品格を感じさせる。

未来の国からはるばると [漫画]

そんなこんなで、4巻から、読み始めたドラえもん。

1話読切形式なので、どこからでも読める。

結局、ドラえもんの1巻、第一話を読むのはずいぶん先のこととなった。

友人の家に並んでいた単行本を、拝借して、物語に没入した。

それは、おさない私にとって、あまりにも残酷なプロローグだった。

のんびりした、お正月の風景から物語は始まる。

うまそうに「おもち」なんか、食べているのび太少年。

突然、机の引き出しから、あらわれたロボットに

大人になっても残念な未来しか待っていないことを、告げられる男の子のび太。

死にたくなるような、絶望的な物語の序章である。

そして、いかに「最悪な未来」が少年を待ち受けているか、写真を見せながら

解説する青いロボット。なんとかするから、と君に言われても、と、思わざるを得ない展開。

ユニークなキャラであるドラえもんと、藤本先生のキャラのルックスで判り辛くなっているが、

完全に優れたSF作品である。

今、半世紀の時を越えて、再認識する。

ドラえもんは、高次元なSFドラマであると。

今、大人が読んでも充分に満足できる名作なのだ。

笑いもブラックで、味わい深い。

ドラえもん=幼児漫画ではなく、ドラえもん=SF漫画

という視点で、もう一度読んでみて欲しい。

そのシュールさに、病み付きになることは、想像に易い。
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少年ジャンプ [漫画]

母が2階で、洋装店を営んでいた。

その1階に叔母の営む喫茶店があり、そこに少年ジャンプが置いてあった。

キン肉マンの第一話もそこで、リアルに読んだ。

小学生だった。

ジャンプは大人への入り口のひとつだった。

それから、中学生になり、初めて自分のお金でジャンプを買って

30年あまり、私はずっと少年ジャンプだけは読んできた。

年間1万2千円の支出として、20年間で24万円、ジャンプのために。

漫画世代を誇りに思えるほどの、秀作が続出していた黄金時代。

サンデーやマガジン、キング、チャンピオン、と、他の少年誌と決別してもジャンプだけは・・。

少年とは呼べない年齢になっても、読み続けてきた。

どんなにつまらなくても、我慢をして。

音楽には、音にしか表現できないものがあり、

映画には、映像でしか表現できないものがあり、

小説には、文章でしか表現できないものがある。

漫画にも、漫画でなければ、表現できないものがある。

コマわり、とセリフ、最近はどの漫画も同じに見える。

それでも買い続けたのは、

ジャンプを少年誌の革新として、信じていたかったから。

だが、最近もう我慢も限界にきている。

はっきりいって、おもしろくない。

つまらない。

友情も勝利も努力も記号となり、意外性もリアリティもかけらもない。

同じことの繰り返し。

まあ、やむを得ない。

今週までは、買おう。

それは、行き着けの書店の前で、

店員さんに

「ジャンプですね?」

と声をかけていただいたからだ。

今週号までは、読もう。

けれど、来週はもう買わないよ。

本当だよ。

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