幻の一撃!ジェットストリームアタック! [麻雀]

空が白み始めていた。

うっかり、終電を見送り、居酒屋を追い出された我々の心のよすがは、そう、あのS場ハウス。

約束などしていないが、あの場所にゆけば、なんとかなるだろう。

我々は、S場ハウスを目指す。

しばらく歩くと荘厳な建物が見えてくる。

S場ハウスだ。無事辿りついた。

また、ドアが鍵を回すまでもなく開く。

オーナーは不在だけれども、手伝いさんが、名我々を出迎えてくれた。

黒い無口なお手伝いさんと、桃色の服を着たお手伝いさんは、終始笑顔。

我々は、歓待されているのだろう。

この出迎えに、O村氏は言葉もないようだ。

とりあえず、麻雀を打ちたかったので、10畳はあるだろうフローリングの麻雀ルームへ。

天井のシャンデリアが、煌びやかに牌を照らす。

磨き上げられた床は、鏡のようだ。

HYしくんは、酔いも覚めた様子。これなら、得意の酔拳も使えないだろう。

開局後、オーラスまで、O村氏のダントツトップ。70000点差。

だが、そのオーラス。私に、ダブリーの手役が入る。

コトリと、O村氏の切る北に声がかかる。

「ロン」

親のトリプル。逆転だ。

144000点。トリプル役満だ。

明け方の手積み麻雀には、注意しようね、ふっふっふ。

相手の様子を観察せずに牌山を積むことは、無免許運転と同じ。

事故るよ。ふっふっふ。
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恐怖の代走6麻雀) [麻雀]

私は、後ろの無法者の良く見えるように、ツモッてきた9ソウを手牌の左側に留め、
「この9ソウを持ってきたから降りるんだ、良く見とけ」とばかりにリーチの現物の4ソウを抜き打った。
絶対に振るな!、というご主人の言いつけを忠実に守る形となったのだ。
「一発ツモ、6000オール」12345678②③④⑤⑤ 3ツモ。
ドラを大切にした為、面子過多のソーズの上を払ったのだろう。
リーチ一発ツモピンフドラドラ。9ソウを切っていたら、18000点。
18000発位は殴られていただろう。
いろいろな意味で、即死はまぬがれなかったと思われる。
6000点を点ハコから、、一発のご祝儀2000円を無法者のカゴから払い、
9枚の手牌を全力で全自動卓の開口部に叩き込んだ。
証拠隠滅。助かった。

奇跡の生還。生きてるってすばらしい。

無法者と交代すべく席を立つ私に、声がかかった。

「おう。若いの。よく9ソウ止めたなあ。たいしたもんだ。」

無法者は私を褒め「、なんか、食え。」と1000円札を手渡した。
「ええ、小牌ですから」なんて、答えるわけにはいかないので、軽く会釈をして、
「バイトにいきます」と雀荘を離れた。
その1000円はなんだかものすごくくだらないことに使った記憶がある。
また、チョロチョロその雀荘に顔をだして、
常連達から「あの時小牌していただろう?」なんて言われたら、目も当てられないので
、2.3ヶ月は店には近づかないようにした。

今でも、思い出し、考える。
あの時の私の小牌は既にバレていたのではないか、などと。
今でも小牌の夢は寒い日なんかに良く見る。まったく持って忌まわしい記憶だ。
でもね、よくよく考えると、悪いのはどう考えても、私である。
今、この場を借りて謝罪します。小牌してごめんなさい。  END


恐怖の代走⑤ (麻雀) [麻雀]

私の手牌は 東東東ポンの ①③③③234七七 。
マンズの七七の部分を右手で力強く隠していたので
、後ろから観ている無法者は、①③③③234七八九の聴牌と思っているはずだ。
だから、②や①が出たり、②や①をツモッたりすることが一番困る。
「何であがらないんだ!殺すぞ」となるに決まっている。
まあ、あがらない、じゃなくて、あがれない、なんですけどね、小牌だから。
ここで持ってきて欲しいのはダークドラゴンクラスの危険牌だ。
「あ、これはもう、代走なら切るわけないよね、みたいな牌。
祈るようにツモ山へ手をのばす。
ツモ牌が、後ろから見えぬよう、ぐりぐり盲牌する。
もし、その牌が①や②だったら、ふせたまま、上家のリーチの現物である4ソウを抜き打つつもりだった。
盲牌した感じでは、縦に線がいっぱい入ってる。なんだっけ?これ?。六ソウかな?と思って開くと、9ソウだった。

ちなみに私は、盲牌もへたくそである。リーチ者の河には、4.5巡目に8ソウ7ソウが逆切りしてある。
手出しとか、ツモ切りとか全然見ていないので、捨て牌読みの根拠にはならないけれど、4ソウも切れているし、9ソウはいかにも安牌チック、とおりそうだ。
だがしかし、聴牌を壊すチャンスは今しかない。千載一遇のチャンス。


恐怖の代走④ (麻雀) [麻雀]

トイレから出てきた無法者は、まっすぐこちらに戻らずに、他の卓にちょっかいを出している。
今日はついてねえ、みたいな会話を交わしている様子が、遠くにうかがえた。
ついてないのは、こっちのほうだ。心の中で私はそう叫んでいた。

「早く、誰かあがってくれ」その私の満身の願いが天に届いたのか、上家から5000点棒でリーチが刺さった。「おう、5倍のリーチだ、ケケケ」
「おい、若いの、両替してくれ」上家は、5000点棒を私に投げてよこした。
たのむから余計な仕事を増やさないでくれ。
内心イライラしていたが、速やかに両替をして、ツモ山に手をのばしかけた、そのとき。。


おう、振りこんでないだろうなあ?

と私の背後より、声がかかる。
「きたーーー」奴が帰ってきた。背後に修羅の気配を感じる。
「もうその局はおまえにまかせた、振るなよ」念を押し、無法者は私の背後の小さな椅子にドカッと座った。


恐怖の代走③ (麻雀) [麻雀]

やっちまった。代走に入ったとき、ツモらずに切ったんだ。
ばかばかばかばかばかばか!とりぷるばか!!!俺のばか!果てしないばか!
どうしよう。このままだと、上ツモ下ツモの異変に対局者が気付き、私の小牌がばれてしまう。
なんとかしないと。大変だ。
とにかくツモ順を変えてごまかせ。緊急事態である。
私は、安牌の最有力候補であったはずの東をポンして、9枚の手牌で構え、うまいことツモ順をずらした。
常連であるところの対局者から「代走がしかけるか?」との誹りを受ける。
だが、こちらはそれどころではない。
小牌がバレないように、自転車のハンドルを握るように9枚の手牌の両端を押さえ平静を装う私。
しかしながら、あの無法者が戻ってきたとき、東を仕掛けておきながら手牌バラバラなどという、ふざけたことになっていたら、それはそれでもちろん、ただではすまないだろう。
アガリに向かったけれど、危険牌を掴んでおりました、という感じが一番良い。
そう思い、少し聴牌を意識して牌を集める私。
いつしか手牌は9枚なのに、イーシャンテンのような形になっていた。
まあ、永遠に聴牌は不可能だけどね。
小牌だから。①③③③234七七。
東ポン。どうすれば聴牌できるのか教えて欲しいものだ。
安牌チックな牌は①位しかない。トイレのドアをチラ見する私。
無法者よ。頼むからまだ出てこないでくれ。てゆうか、早く誰かあがってくれ。
もうこうなったら一枚位拾っちまうか?
もういっそのこと、おまわりさん呼ぶか?
賭博行為で検挙。あ、俺も捕まるなあ。
そうしたら、やっぱり退学になるかなあ?
もう、本当にいろいろな思惟が脳裏をよぎる。
わずか数分間のことなのだろうけれど、私にとっては、無限の時のように感じられた。
 しかし、残念ながら、トイレのドアが開いた。
無法者のご帰還である.

恐怖の代走② (麻雀) [麻雀]

「すいません、勉強させてください」
そう断わり、邪魔にならないように店の隅っこに陣取り、友人のメンバーの対局を観戦することにした。
リズムのよい押し引きのしっかりした対局を眺めながら、自分には、半荘一回で一万円以上動く麻雀は、無理だな、と改めて感じた。
 30分ぐらい過ぎただろうか?突然、千点500円以上のレートで打っているであろう、店の最深部の卓から、怒鳴り声が響いた。
「はやく、家に帰って10万持って来い!」
見た目も恐ろしければ、性格も恐ろしいその声の持ち主は、麻雀の種銭を、となりにいた奥さんに取りに帰るように命じた。
 ずいぶんと負けが込んでいるのだろうか?
その男がとてつもなくイライラしている様子が、見なくても痛いくらい伝わってくる。
私は、絶対の関わり合いにならないよう、努めてその男の方を見ないよう気をつけていた。
が、しかし。また、その男の怒声が店内に響き渡る。
「おい!代走だ!おい!早くしろ!」
お酒が入っているせいか、その男は半荘の局の途中、しかも親番の前に、いきなり代走を要求した。
嫌な予感がした。店内は、運悪くメンバー全入り。
その男の奥さんもお金を取りに店を離れているため、店内で空いているのは、私だけである。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。麻雀牌には触りたいけれど、あの男の代走はご免こうむる
。しかも、超高レート。冗談ではない。しかし、無情にも必然的に私に声がかかった。
「おい!そこの若いの!暇だろう?ちょっと代走してくれ。便所だ」
バイトがあるから無理だと、断わる私。だが、「バイトなんか、行かなくていい。おい。ちょっと、代走しろ!」と返してくる。なるほど、強烈に理不尽である。さすが無法者だ。
店内に不穏な空気が漂ってきたので、やむえず、代走を引き受ける私。
その無法な男は、「もう30万負けてる。おまえ、絶対振るなよ?」そう私に吐き捨てトイレによたよたと向かった。

「ええええええ。どんなレートで打ってるんだ・・?・・?」
夕方開店だから、まだ半荘3.4.回位しか打っていない筈だ。
殺される。振り込んだりしたら、間違いなく殺される。
点棒が減ったら、私の寿命も同じ位減るであろうことは、容易に想像できた。
対局者の横のカゴには、一万円札のズクが無造作に放り込んである。
万札ばかりだ。もしかして、デカピン?困惑している私に同卓者から「はやく切りなよ」と声がかかる。
ガタガタ震えながら、配牌から一枚切り出す私。クラクラしながら、冷静に手牌を見ると、東が二枚ある。
よし、こいつを安牌にしよう
。よく見ると、北や、発なんていういかした牌もいる。よし。牌を握ると気持ちも落ち着いてきた。
要するに振り込まなければいい。トイレ代走なんて、いいところ一局だ。
配牌からオリていれば、一局振らずにいなすことなんて、造作もないはずだ。
東2局南家。ドラは⑤ね。よしよし一枚もないぞ。これなら、アガリに向かう理由もない。
おとなしく、あの無法者の帰還を待つとしよう。そう決めると、安牌を貯め気味に模打を繰り返した。
3.4巡くらいして、私は強烈な違和感に襲われた。
ん。ん。なんか、いつもと違う。何か手牌、短い気がするにゃあ。気のせいかなあ。
あれ?なんで、俺、南家なのに、上ツモなんだろう?ひいふうみい。ひいふぃう。
・・あれ??あれ?12枚しかない。13枚あるはずの手牌が、12枚。
ええええええええええええ!!・・・?・?小牌! 

恐怖の代走① (麻雀) [麻雀]

恐ろしい恐怖体験というのは、何十年たっても鮮明に覚えているものだ。
今でも、たまに夢でうなされることがある。
そう、あれは大学2年の頃、やはり世はバブルの絶頂期だった。
とある雀荘。セット打ちの一般の学生達からは、その雀荘は恐れられていた。
オーナーは学生思いの本当に優しい面倒見の良い人だったけれど、一部の客層とレートが、かなり危険な雰囲気を醸し出していたからだろう。
開店当初は点5の卓も立っていた。
だが、日本経済の好景気に影響を受け、店内の麻雀のレートもとてつもなく景気がよくなり、もう自分の軍資金では参戦できなくなっていた。
ピンのワン・スリー前出し千円一発ウラ祝儀千円。それが最低レートだったように思う。
前出しというのは、トップ賞の前出しの意味らしく、対局前におのおの1000円ずつ出し、トップが総どりする、というルールだ。
 けれど、私はその雀荘が大好きだった。
私の仲の良い友人が何人かメンバーをしていたことも理由の一つなのだけれど、何よりも鉄火場な空気が大好きだった。
店内を跋扈している熟練の麻雀打ちが対局の観戦を許してくれるし、勝負のアヤなんてものも教えてくれる。本当に極稀に、点5で遊んでくれたりもする。
 「何かの間違いで点5の卓でも立ってないかなあ。」牌に触りたくて仕方のない私は、22:00からコンビニのバイトがあったけれど、夕刻から営業を開始する、その店のドアを開いた。
賑やかな店内。雰囲気から察するに点5はおろか、点ピンすら怪しい。
どうやら200円の卓がメインのようだ。「おう。入るか?」常連さんが気さくに声をかけてくれたのだけれども、そのレートに見合う、雀力も軍資金も度胸も私は持ち合わせていなかった。


邂逅2 [麻雀]

対局は、だんだんヒートアップしていった。

次局の私の先制親マン確定リーチも、大男に簡単にいなされてしまう。

私のリーチの現物でのロンアガリ。聴牌の気配すらなかった。

 結局、私の勝負手は、その大男につぶされ、その代わり安いアガリを拾うことはできるという、

なんだか釈然としない展開が続いた。またか、と思うくらい、値段のあるリーチは全て捌かれた。

 対局中、常にその大男の捨て牌は異様で、何をやっているのか、皆目検討もつかなかった。

完全にその大男に卓を支配されているような、そんな気分だ。

大男は、2000点以上の手役には振り込まず、また、3900点以上の手をあがることもなかった。

そして、リーチを打つことは、結局、ただの1度もなかった。

一発、裏有りのフリーの麻雀では、考えられないスタイルだ。

 半荘3回目に入る際、その大男がラス半コールをいれ、結局、勝負は半荘3回で終わった。

私の成績は2着、3着、3着の沈み。大男は、結局ノートップの3着、2着、2着だった。

「いやあ、遊ばせてもらったばい・・。ありがとうね。」

大男はそう屈託なく笑い、カードを現金に交換すると、雨の降る闇夜に消えて行った。

こっちは、完全に遊ばれてしまった。例えようのない屈辱が身を包む。世界が違う。完全敗北だ。

私も換金をしようと、カウンターへ行く。店員の男の子が、驚いている。

「偶然やろうか?丁度、プラスマイナスゼロだ。」

あの大男の半荘3局の終始がプラスマイナスゼロだと、いうのである。

そんな、ばかな・・・・狙ってできるはずがない・・偶然だ・・。

私は、不本意ながらあの大男について、店員に尋ねた。店員から、聞き取った情報は以下の3点。

①今回3回目の来店で、前回も前々回も、夜中にふらっと現れて、

半荘3回を打ってトントンのチャラ収支で帰ったということ。

2ヶ月に一度位のペースでの来店、とのこと。

②おそろしく高いレートの麻雀を打っているらしい、ということ。

③そして、現在、K区の麻雀道場にも出没しているらしい、ということ。

私は、店を後にして、考えていた。どうすれば再戦できるか、を。

なんだか、あの大男に子供扱いされた気がして、本当に惨めだった。

あの大男は全然本気で打ってなど、いない。高いレートってどれ位だ・・・?

私は、戦える種銭を確かめてみる。10万円くらいだ。軽々とは使えない、大切なお金。

しかも、再戦しても、全く勝てる気などしない。

だが、麻雀において、自分の遠く及ばない世界がある、ということが、あまりにも切なかった。

薄々は、感づいていた。麻雀の世界の深さは、自分ごときが、どうにかできるモノでは、ないと。

 けれど、知りたかった。その、まだ見ぬ世界を。そして、やはり強くなりたかった。

本当なら、2ヵ月後、また大男が現れるのを待てば良いだけだ。

けれど、もう1分1秒も待つことは、できなかった。

私は、10万円のうち、5万円までは、止むを得ない授業料だと考えるようにした。

ラスさえ引かなければ、500円でも半荘2回は打てる。

200円なら、5回打てる。今まで、そんな身の丈にあっていない麻雀など打ったことがなかった。

お金はいらない。とにかく、あの大男の見えている世界が少しでも知りたい。

 私は、翌日、大男を探す旅に出た。


雀ゴロへの挑戦2(麻雀) [麻雀]

雀ゴロへの挑戦2
 次の半荘が始まる前に、トイレ休憩、小休止となった。
私は気持ちを落ち着かせ、いろいろ考えていた。先ほどの、フリテン片あがりはまさに驚愕だったが、あれは最終形がどうあれ、普通に打っていてもリーヅモドラドラ12000のあがりだ。
例え、片あがりが可能だとしても、一度つもあがった手をフリテンリーチに受ける局面はそうそうないだろう。それは、結構リスキーな選択なはずだ。フリー麻雀は、きれいな手をつくることが目的ではない。どんな愚形だろうが、あがればよい。一発ウラのチップなどのご祝儀も勘案して、結局の所1円でも多くのお金を持って帰ることができれば、それで良いのだ。
仲間内の麻雀とは目的が違う。あのチャンタ三色を手役に惚れてフリテンリーチを打つなど、愚の骨頂だ。それをいくらフリテン片あがりルールがあるからといっても、それは麻雀を舐めている。下のチャンタ三色を意識するのなら、序盤に④を切り飛ばしておけばよいだけの話だ。
手なりで打っていて、気がつくとチャンタ三色になっていた、もったいないからフリテンリーチを打った。そんな意思のない麻雀。ツモあがりより、ロンあがりを重視した麻雀なのだろう。「こいつら、たいしたことないな」とそう感じた。ただ、先ほどの①ピンの振込みでその卓の格付けが決まってしまった。むしろたいしたことないのは、私のほう。残念ながらにカモと思われてしまっていることは、容易に想像できた。
濡れた手をズボンで拭きながら、トイレから雀ゴロがでてきた。先ほど私をぶっとばしてくれだ御仁である。その雀ゴロは意気揚々と卓につき

「ようし、次いくぞ!兄ちゃん、今度は飛ぶなよお?ああん?」
そう吐き捨てながらサイコロを振った。

「余計なお世話だ。今にみてろ。飛ぶのは貴様のほうだ。」

そう思いつつ、とても好配牌とは言い難い東1局の13枚に視線を落とした。とにもかくにも牌勢も気持ちもバランスを崩したまま、2度目の半荘がスタートした。とにかく防戦に終始しながら、手牌に形が入るのを待ち続ける私。今は辛抱だ。東の親も手にならず、ツモられ点棒を減らされ赤ドラにも見放され、南場突入時には、16000点くらいしかなかった記憶がある。(20年以上も前なので詳細は定かではないのだけれど)そんな、南場の1局か、2局目、これまた最後の親番を迎える前に、またしても事件が起こった。
「チー」くぐもった声で、かったるそうに吐き捨てて、親番の対面は上家の捨てた②ピンをフーロする。下の三色をおもわせる、カン②ピンとペン7ソウのチーが2つ晒されている。赤牌が三環帯に入っているので、下の三色には常に注意が必要だ。8ソウがドラなので、チャンタ三色ドラドラ。親満コース。キー牌をうまく鳴けた形の2フーロである。ソーズやマンズの下はもう切れない。聴牌気配もバリバリだ。ツモ山に手を伸ばすイーシャンテンの私。ツモ牌は「2ソウ」・・。「こいつは切れない」。よしんば通ったとしても、こんな牌を切ると舐められる。これ以上奴らの風下に立つのはごめんだ。2ソウを手の内にしまいこみ、5ソウを切り出す私。345のターツを234に変化させた手格好だ。「よし、なんとかうけきってみせるぞ」賢明な選択なはずだ。 だが・・・・。  
 「ロン!ぬるいのう、兄ちゃん。イッツー赤ドラ、親満州じゃい!」

12346789⑧⑧①②③.カン5ソウ待ち。赤3ソウを使ったチャンタチックな一通である。不ヅキなときにありがちな振込みである。「やられた!」驚きと動揺を隠せない私。
ん・・・ん・・・・?ん!イッツー赤ドラ・・。え?5800点じゃない?

誤申告にもほどがあるぞ、ふざけやがって。物申す私。店員のほうを向いて口を開く。(雀ゴロ怖いからね)「イッツードラドラ、ゴッパですよね?」すると、また雀ゴロが返してきやがった。

「にいちゃん?この店じゃあ、イッツーは三ハン役なんや。鳴いて二ハン、面前で三ハンや。はよ、12000払いないや?」

えええええええ?何じゃそりゃ。i今作っただろう?魔界のルールか何かですか?うおお、これはいかん。非常にまずい。他にも出鱈目なルールがあるかも知れない。もう格好をつけている場合ではない。私は対局を中座してもらい店員に詳細ルールの説明を求めた。

特殊なルールは以下のとおり。①フリテン片あがり有り②イッツーチャンタは3ハン、ジュンチャンは4ハン。(それぞれ鳴くと一ハン下がる)③東と南の両方をアンコウ、もしくはミンコウにしてあがると500円のご祝儀(店の名前にちなんで)④メンホンチートイは小車輪扱いで6ハン。
なるほど、先の半荘で私がふっとばされた親倍、あれ、もう1ハンあればトリプルだったのね。

むうううう。結局2度目の半荘は飛ばずにすんだものの、ダンラス。半荘2回で、9000円近く溶けている。最初に予定していた金額10000円に、わずか半荘2回でほぼ到達してしまった。博打の麻雀は溶け出すと早い。

冷静に考えてみる。状況はどうみても最悪。ラス半コールをして、今日は帰るべきである。取り返すには3回のトップが必要だ。自問自答してみる。勝ち目がないのはもう重々理解できている。だが、なんともやりきれない気持ちが自分の中に残っている。「悔しい。このまま帰れるものか!」カゴの目をやる。まだ2万残っている。

まだ、打てる。雀ゴロどもよ、欲しければ全部くれてやる。もう、ドラクエもパチスロもどうでもよくなっていた。場変えも不要だ、この席で勝ってやる。

「にいちゃん、今度は飛ばんかったなあ?ひひひ、次、いくか?ああん?」

雀ゴロの問いかけに私は無言で頷いた。仲間との暖かいセット麻雀が、とても懐かしく恋しかった。   もう、お金のことは忘れよう。もう、こそこそ小器用に立ち回るのは止めよう。とにかくまっすぐ攻めよう。いつしか、入店時のふわふわした気持ちは完全に消え去っていた。そして、三回目の半荘が始まる。私は「どんな配牌でも仕上げてやる」そう強く念じながら、牌山に手を伸ばした。  つづく


雀ゴロへの挑戦①(麻雀) [麻雀]


今から、20年前、時代はバブルの絶頂期。その頃の私は、仲間打ちの麻雀では勝率もよくなっていて、とにかく強い人間と打ちたい、そう思うようになっていた。仲間で打つ麻雀がつまらない訳ではない。だだ、麻雀を生業としているとはどういうものか興味があったし、なによりそういう人間と打ってみたかった。その日は、深夜23:00から始まる仲間とのセット麻雀まで何の予定もなかった。なんとなくポケットに小金もある。なんとなくふわふわした気持ちで、前から気になっていた「壱萬円持っていれば遊べる」と噂の、その店に昼間から行ってみることにした。
1992年頃、当時はまだ点5の店すらなく、ピンの1.3が最低レートだったように思う。麻雀=ギャンブルという風評で、市内には麻雀クラブや麻雀サロンが乱立していた。市内でも有名な天ぷら屋の2階にあるその店の入り口には、「ピン低レート」○○荘の看板が出ている。「ピン低レート」の意味はよくわからなかったが、「とりあえず、覗いてみよう」、と入店。店員の説明によると、レートは「ピンの0.5・1」、30000点持ちの30000点返し。ゲーム代は500円。なるほど、大きなラスを引かなければ一万円で4回は打てそうだ。と安心して着席。いつも仲間内で打っている麻雀が点5.5.10だから、そんなには変わらない。
同卓者は徹夜麻雀続投中という不健康を絵に描いたような風貌の雀ゴロ2人と、ひょろっとしたメンバーさん。なるほど、負けても得るものがありそうだ。この世で雀ゴロほど、麻雀の強い生物はいないという。勝っても負けても仲間には武勇伝を報告できそうだ。とにかくなめられてはいけないと、ルール説明の詳細も「不要だ」とメンバーに断わり、「こんなもの鼻紙にもならねーぜ!」といったそぶりで、1000円札を10枚づつ纏めたズクを3つほど、サイドテーブルのカゴに放り込み、闘牌開始。実はその三万円は、全財産である。そもそも全て千円札にして持ち歩いている地点で、貧乏人確定である。だが、当時の私は千円札を裸銭で持ち歩くのが、なんとなく無頼っぽくて気に入っていた。とにかく気持ちで相手の風上に立ちたかった。「いろんな店で打ってるけど、今日は安いレートで遊んでやるよ、」と相手に牽制をかけたかった。いっぱいいっぱいの虚勢である。
よし、レートさえわかっていれば怖くはない。大丈夫だ。自分に言い聞かせる。負けたところで、金を払えば、それでOK。なんか予想外にやばい感じにからまれたとしても、今はお昼時。下階の天ぷら屋には人がたくさんいる。いよいよになれば、」大声をあげればいいさ。ちなみにこの3万円は当時学生であった私にとっては、大金である。購入予定のスーパーファミコンのソフト(ドラクエ5)や、パチスロ(当時は7枚交換が主流ニューペガサス大好き)の軍資金も必要なので、1万以上は絶対負けたくないのが本音である。
開局。私が西家スタートで、のらりくらりと自分安牌(自分にしかわからない安牌。②カンコ見えの①ピンなど)をリーチに対して強打したりして、さも「あんたの手牌は透けてるぜ」とばかりにはったりをかまして、振らずあがらずで、南2局一本場まで。25000点近くをなんとかキープしていたのは、今でも覚えている。状態もよくなかったので「次の親番で2,900位をあがって、ぶら下がりの2着でもいいや」なんてセコイことを考えていた。小物である。そんな折、親番の南家から、④を手出しの「ちっ、しょうがないのー」の台詞付きリーチ。なにがしょうがないのか理解できなかったが、ようするにやむをえない、窮したリーチということだろうか。しょうがないリーチなんて打たなければいいのに。でも、まあいい、そのまま窮していて欲しいものだ。だいたい、こういう口三味線は雀ゴロにとっては、挨拶のようなものだ。気にしない。気にしない。そう思いながら、状況を鑑みた、打牌選択へ。
20年前なので詳細は覚えてない。親番を控えたこの局の私の目的はとにかく「絶対に振らないこと」。配牌からそれを意識していた為に、手牌は安牌抱え気味のバランスのよい13枚になっている。絶対に振らない選択肢は一つしかない。「場に一枚切れている暗刻持ちの①を切る。」これならチートイもないし、100000パーセント安牌。スジの安牌なんかを手出しで切り出してなめられるのは癪だが、親には絶対に振れないし、親のリーチの現物として河に捨てられている牌で、待ってる他家がいたりしたらそれはそれで、嫌だ。やつらは雀ゴロだ。油断は出来ない。で、とにかくここは①切り。全人類の50億人中50億人がその選択のはずだ。で、①切り。まんまるな①切り。このどこまでも転がっていきそうな①ピンを三枚続けて切ってやる。ざまあみやがれ。


だが、ざまあみたのは私のほうだった。信じられないことが。リーチ者から声がかかる。「ロン。兄ちゃんスジは危ないでえ」リーチ一発チャンタ三色赤裏。24000は25500.(九州は赤ドラが3環帯、ツモ棒は1500点)
「はいー!?」「だ、だってフリテンじゃないですか?」とメンバーを問い詰める私。雀ゴロに文句をいうのは怖いので、メンバーさんに説明を求める私。すると、雀ゴロがいかにも雀ゴロっぽく口を開く。
「ああ~ん?にーちゃん、この店はリーチフリテン片あがり有りなんや。スジは気をつけんとなあ・・・」
フリテン片あがり。。。ほわい?なんなんすか?ふざけるな。聞いたことないわ!それは、リーチの現物でのロンはできないけど、現物以外の高めの牌が出たときだけロンあがりできるという、一撃必殺の恐ろしいルール。「やられた。こいつらグルか?3万円も見せ金をみせたことが、裏目にでたのか?」とも一瞬考えた。が対局中そんなそぶりはなかった。何が起こったのかよく理解できなかったけれど、ぶらさがりの2着をもくろんでいた私が、親番の前にハコテンになり、低レートの麻雀でありながら、ハンチャン1回で5000円を失ったということだけはまぎれのない事実だった。(とび賞有り)「ルール説明を聞いておくべきだった。」とほんの少しだけ後悔したけれど、同時に、「逆手にとれば、けっこういけるんじゃないか?」なんて、思いながら、ハコテンになったくせに、結構前向きに次のハンチャンへ果敢に挑む20歳の私。自分が①を切らなければ、まっすぐ攻めていれば親番のあがりが存在しなかったことなど、気付きもせずに。若さとは本当に恐ろしいものである。「ルールも理解できたし、次は大きなトップをとろう!」と、その程度にしか考えていなかった。しかし、この店の恐ろしいルールは、フリテン片あがりだけではなかったのだ。

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