一日の価値。 [哲学するパラロス]
父は、「一日一日がたまらなくいとおしい」とこぼす。
健康で、何でもできる可能性がある。
そういう1日が、たまらなくいとおしい、というのだ。
そういわれて、恐ろしくなる。
仕事に追われて、光陰は屋の如し。
すざましい勢いで、月日が流れる。
とても、「いとおしい」と思う時間などない。
ただ、働いているだけで、何かをいとおしいとおもう暇(いとま)などない。
いずれ悔いることはわかっている。
けれど、日々の恒常性のなかで、自分を許している。
仕事が終わり帰宅すると、もう、何もする気がしない。
現在、なすべきことをして、そののち、やりたいことに邁進する。
その当たり前のことができないのだ。
誰のものでもない自分の人生がまるで「借り物」のよう。
私に現在必要なことは、向上心とか、そんな薄っぺらい大義名分ではなく
例えば、「月を見て、美しい、」と涙を流せるような、魂の潤いだ。
自分の感性というものを、よみがえらせなければならない。
日常に食い殺されぬよう、懸命に日々に感動を求める。
そういうふうに、生きねばならぬ。
健康で、何でもできる可能性がある。
そういう1日が、たまらなくいとおしい、というのだ。
そういわれて、恐ろしくなる。
仕事に追われて、光陰は屋の如し。
すざましい勢いで、月日が流れる。
とても、「いとおしい」と思う時間などない。
ただ、働いているだけで、何かをいとおしいとおもう暇(いとま)などない。
いずれ悔いることはわかっている。
けれど、日々の恒常性のなかで、自分を許している。
仕事が終わり帰宅すると、もう、何もする気がしない。
現在、なすべきことをして、そののち、やりたいことに邁進する。
その当たり前のことができないのだ。
誰のものでもない自分の人生がまるで「借り物」のよう。
私に現在必要なことは、向上心とか、そんな薄っぺらい大義名分ではなく
例えば、「月を見て、美しい、」と涙を流せるような、魂の潤いだ。
自分の感性というものを、よみがえらせなければならない。
日常に食い殺されぬよう、懸命に日々に感動を求める。
そういうふうに、生きねばならぬ。
2014-02-02 02:02
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0