一日の価値。 [哲学するパラロス]

父は、「一日一日がたまらなくいとおしい」とこぼす。

健康で、何でもできる可能性がある。

そういう1日が、たまらなくいとおしい、というのだ。

そういわれて、恐ろしくなる。

仕事に追われて、光陰は屋の如し。

すざましい勢いで、月日が流れる。

とても、「いとおしい」と思う時間などない。

ただ、働いているだけで、何かをいとおしいとおもう暇(いとま)などない。

いずれ悔いることはわかっている。

けれど、日々の恒常性のなかで、自分を許している。

仕事が終わり帰宅すると、もう、何もする気がしない。

現在、なすべきことをして、そののち、やりたいことに邁進する。

その当たり前のことができないのだ。

誰のものでもない自分の人生がまるで「借り物」のよう。

私に現在必要なことは、向上心とか、そんな薄っぺらい大義名分ではなく

例えば、「月を見て、美しい、」と涙を流せるような、魂の潤いだ。

自分の感性というものを、よみがえらせなければならない。

日常に食い殺されぬよう、懸命に日々に感動を求める。

そういうふうに、生きねばならぬ。

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