オカルトとデジタル [哲学するパラロス]

関門海峡
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九州の入口だお!

門司港レトロに足を運べば、瓦そばも堪能できるお!
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論理的思考→デジタル

そうでないもの→オカルト


オカルトという言葉そのものは、神秘的で論理的ではないもの、という扱い。

実証できないものをひとくくりにして、蓋をしている感じ。

麻雀なんかでも、その見解はオカルトで根拠がないからいただけない、などど評される。

むむむむむ。

実は内心穏やかではない。論破しようかな?といつも思うのだけれど、

人それぞれ思惟はあるわけだから、それを侮辱する発言はよろしくない。

しかも、こちらもオカルトという言葉を使われるくらいだから、普遍的な真理は口にできない。

論争になると、たましいのたたかい、となる。それは、面倒なので万事、我慢する。

でも少し意地悪をしたい。



では、デジタル派の皆様に、訊ねたい。

あなたは、どのようにして、何のために生まれてきたのですか?

死ぬとどこに行くのですか?

そもそも、あなたは本当に存在しているのですか?

実存とは何ですか?魂とは何ですか?

地球の地軸がほんの少し現在の状況より傾いていたならば、人類は存在していない。

そんな偶然をどう論理的に解釈するのですか?

この世に論理的に説明のつくことなど、本当に僅かなものだけだ。

それなのに、論理的でないものを、それだけの理由で拒絶することは傲慢である。

それよりも、事象そのものを、魂で受け止めよう。

美しいものを、美しい。

おいしいものは、おいしい。

我々は、世界を生まれてきたことを、讃歌する為に生きている。

そのためには、魂で感じることのできる感性を大切にするべきだと思う。

謙虚さをもたない論理派は、自分に都合のよいものばかり身辺に置き、意にそぐわぬものを攻撃する。

だが、真の論理派は、自分の論調も学際のひとつなのだと、謙虚に受け止め

あらゆる事象を深く深化させて真理を探求する。

私は、後者をサイコーにかっちょよい!とおもうのだ。
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