自分の言葉で [日常]
関東にでてきて、気分の悪いこと。
それは、煮え切らない奴が多い、ということ。
偏見かも知れないけれど、私の九州の友人は、言いたいことはいうし、責任も持つ。
けれど、関東にでてきてこちら、
黙して語らないし、行動にも移さない、そんな阿呆に、ものすごい確率で遭遇する。
もちろん全ての人間がそうではない。ぶチョリーナのようなナイスガイもいる。
何を言われてもヘラヘラ笑っている。笑顔がウソくさい。
我慢をしているのかなんなのか、とにかくウソくさい。
「ウソつけこのハゲ!」とハゲてなくても、いつも思う。
好きになれない。
どこかひとついいところを見つけ、好きになろうとするが、ムリポ。
「なんでもかんでも口にすればよいものではない。
自分が我慢していればそれでなんの問題もない。
他人を傷つけたくない。」
そういう論調らしい。
それは、確かに、おっしゃる通りだと思う。
他人に迷惑をかけていなければそれもありだろう。
こういう人間を、世間では「優しい人」とのたまうけれど、それは曲解だ。
こういう人間は、「自分に優しい人」であり信頼できない。
そもそも、自分の意見まで口にしないのは、どうか、と思う。
卑怯だとおもうのだ。
自分の感じたことを、自分の中に押し込めてしまえば、自分は存在しないことと同じ。
理解しがたい思考回路だ。
このような神経の人間は、本当に反吐がでる。
無言は、最悪だ。
いじめ問題などでも、私は、無言無関心の傍観者が一番クソ野郎だと思う。
伝え方は慎重を期すのだけれど、想いを言葉や行動に。
それが、生きているということだ。
生きてゆくということだ。
誠心誠意伝えること。
譲り葉でいいじゃないか。
積み重ねた想いは、譲り渡す伝える相手がいてこそ、だ。
他人を傷つけるけれど、それがその人のためになると考えたのならば
使う言葉を精査して、想いを届けるべき。
その積み重ねが、絆を生むのだと思う。
言いにくいことを、口にしてくれる人間は本当に大切だ。
人は一人では生きられない。
それは、煮え切らない奴が多い、ということ。
偏見かも知れないけれど、私の九州の友人は、言いたいことはいうし、責任も持つ。
けれど、関東にでてきてこちら、
黙して語らないし、行動にも移さない、そんな阿呆に、ものすごい確率で遭遇する。
もちろん全ての人間がそうではない。ぶチョリーナのようなナイスガイもいる。
何を言われてもヘラヘラ笑っている。笑顔がウソくさい。
我慢をしているのかなんなのか、とにかくウソくさい。
「ウソつけこのハゲ!」とハゲてなくても、いつも思う。
好きになれない。
どこかひとついいところを見つけ、好きになろうとするが、ムリポ。
「なんでもかんでも口にすればよいものではない。
自分が我慢していればそれでなんの問題もない。
他人を傷つけたくない。」
そういう論調らしい。
それは、確かに、おっしゃる通りだと思う。
他人に迷惑をかけていなければそれもありだろう。
こういう人間を、世間では「優しい人」とのたまうけれど、それは曲解だ。
こういう人間は、「自分に優しい人」であり信頼できない。
そもそも、自分の意見まで口にしないのは、どうか、と思う。
卑怯だとおもうのだ。
自分の感じたことを、自分の中に押し込めてしまえば、自分は存在しないことと同じ。
理解しがたい思考回路だ。
このような神経の人間は、本当に反吐がでる。
無言は、最悪だ。
いじめ問題などでも、私は、無言無関心の傍観者が一番クソ野郎だと思う。
伝え方は慎重を期すのだけれど、想いを言葉や行動に。
それが、生きているということだ。
生きてゆくということだ。
誠心誠意伝えること。
譲り葉でいいじゃないか。
積み重ねた想いは、譲り渡す伝える相手がいてこそ、だ。
他人を傷つけるけれど、それがその人のためになると考えたのならば
使う言葉を精査して、想いを届けるべき。
その積み重ねが、絆を生むのだと思う。
言いにくいことを、口にしてくれる人間は本当に大切だ。
人は一人では生きられない。
2013-02-10 01:24
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