ぼっちよ、胸をはれ! [哲学するパラロス]
友達ができない。
会社の同僚の子供の友達が、そういう悩みを抱えている、と相談される。
そういう考え方だから友達ができないんだよ?
と口にしたくなるけれど、社会人なので我慢。
何事もほしがるから手に入らないんだよ。
そもそも、友達って何だよ?
私は、友人がいるのかいないのか、そんなふうに考えたことはない。
けれど、
何かの節に
「あいつ、どうしてるかな?食べ過ぎてないかな?」
とか、
「あんなに色白くて大丈夫かな?」
とか、
考える人間はいる。
私はそれにこそ意味があると思う。
相手の中の自分など、知る由もないし、「知りたい」などと思うのは野暮で下衆。
自分が相手のことを好きだと大切に思い、心に留めていればそれで充分じゃないですか?
相手の中の自分が気になるのは、すべて自分の為。、
自分がよく思われたいからだ。
そんなこと、そんな確認のしようもないものを推測して、悩むなど正気の沙汰ではない。
どう思われようがいいじゃない。自分のなかで相手を大切にできているのならば。
必要なのは、大切にされたいではなく、大切にしたい、だと私は思う。
そういう相手に巡り会えていないのならば、いいじゃない、ぼっちで。
会社の同僚の子供の友達が、そういう悩みを抱えている、と相談される。
そういう考え方だから友達ができないんだよ?
と口にしたくなるけれど、社会人なので我慢。
何事もほしがるから手に入らないんだよ。
そもそも、友達って何だよ?
私は、友人がいるのかいないのか、そんなふうに考えたことはない。
けれど、
何かの節に
「あいつ、どうしてるかな?食べ過ぎてないかな?」
とか、
「あんなに色白くて大丈夫かな?」
とか、
考える人間はいる。
私はそれにこそ意味があると思う。
相手の中の自分など、知る由もないし、「知りたい」などと思うのは野暮で下衆。
自分が相手のことを好きだと大切に思い、心に留めていればそれで充分じゃないですか?
相手の中の自分が気になるのは、すべて自分の為。、
自分がよく思われたいからだ。
そんなこと、そんな確認のしようもないものを推測して、悩むなど正気の沙汰ではない。
どう思われようがいいじゃない。自分のなかで相手を大切にできているのならば。
必要なのは、大切にされたいではなく、大切にしたい、だと私は思う。
そういう相手に巡り会えていないのならば、いいじゃない、ぼっちで。
2012-11-24 01:38
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0