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終戦記念日とガンダムF91 [哲学するパラロス]

15日は、終戦記念日。

戦争を知らない子供たちも、老い還暦を迎える。

決して忘れちゃダメよ、決して許しちゃダメよ、

そのことを、切に伝える学校教育や家庭教育。

果たしてそのありようは適切だったのだろうか?

本当に学ぶべき大切なことは、「他人の大切なものを大切にしなさい。」

この一点だと私は思う。

この想像力を持てるかどうか。

すなわち、他人の大切なもの、それは人の命。

戦争が昔話となった今でも、人は人の命を奪い続ける。

直接的であれ、間接的であれ、それはとても悲しいことだ。

例えば、自殺。

例えば、A君をいじめで自殺に追いやったとする。

A君の命、A君のことを大切に思うA君の家族のこと。

これを想像できていたならば、どうしていじめで人を死に追いやることができようか?

戦争が身近に存在しないこと。死のリアリティがあまりにも日常生活から乖離してしまったこと。

皮肉にも平和であることが逆に人間を残酷な存在へ変えてゆく。

死を希薄にするもうひとつの要因。

それは、しっかりの機能していない記号化されたサブカルチャーたちだ。

(ちなみに、文化にサブも何もないと思うのだが。)

他人を殺すゲーム。

自機は死んでも、ボタンひとつで生き返る。

他人を殺すアニメ。

命の価値をどんどん希薄にして感覚を麻痺させる。
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機動戦士ガンダムF91をこの日に鑑賞する。

この作品も民間人が戦争に巻き込まれるところから始まる。

日常から乖離され戦うことを余儀なくされる若者。

モビルスーツは殺戮兵器だ。凄惨なドラマとなるはずだ。なのに。

たとえば、そう。その序章で、クラスメイトが死ぬ。

そのシーンの希薄なこと。主人公が5秒ほど、叫んで終わりである。

何故もっと丁寧に描写しない?友達が死んでそんなリアクションなわけないだろう。

リアリティが足りない。もう、虚構の世界である。

戦争について。その命の意味を問える作品でなければ、戦争アニメとはいえない。

ガンダムF91は、反戦の思いと、戦争下における若者の成長(人間賛歌)がテーマと訊く。

主題をボカさず、しっかりと作品を制作して欲しい。

その後、ガンダムシリーズにおいては、「戦争根絶の為の武力介入」を良しとした作品が輩出される。

サブカルチャーといえど、その需要層の年齢を鑑みればその責任はあまりにも重いはずだ。




星に願いを。 [哲学するパラロス]

星に願いを。
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七夕の星霜の夜に、人は願う。

願い事は、未来への希望がよい。

まだ、見ぬ明日への祈り。

私は、祈りこそが、人間の本質だと考えている。

そして、宗教の本質も祈りだと思う。

見返りを期待する祈り。

これは、本当の祈りではない。

お金が欲しい。

大学合格。

これは、こういったものは、願いである。

私的な願望。

刹那な救い。

これらは、違う。

願いは、不満を生む。

祈りとは、ただ心静かに、生きていることを、生きてきたことを、「感謝すること」だとおもう。

人は、感謝することだ、救われる。

本質敵には、感謝することでしか、救われないのだ。

死に直面した人間の最後の拠り所は祈り。

終焉の救いは、感謝の心を持てるかどうかだ。




星に、祈りを。

かくありたい。
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平塚七夕祭りでは、様々な残念な私的な願いを目にした。

なかでも、

「スパイダーマンになりたい」

ちびっこの願い。

子供より、それをスルーした親が心配だ。

祈り、願い、七夕の持つ意味。

しっかりと、考えてみたい。
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初音ミクの贈りもの [哲学するパラロス]

哲学とは、物事の本質を考えること。

そんなに特別なことじゃない。

人間ってゆうのは、死に向かって生きる悲惨な存在だ、と近代哲学者はいう。

うん、確かにその通り。

「死ぬこと」は抗えない絶対的事象なのだから、どうにもならない。

死にたくなければ、生れてこないより、他に方法はない。

あまりにも、等しく哀れな真実。

なんで、こんなこと考えだしたかというと、

今日のお昼、またしても揺れやがったから。

震度4らしいけど、縦揺れから、横揺れになる間、死を覚悟しそうになる。

九州にお住まいのみなさんに伝えたい。

「ほんと、まじ、こええええよ?」

「地震、パねえよ?」

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ふと、思う。

音楽っていうのは、その「悲惨な人間」に神様が慰めとして、授けてくれた贈り物なのかも知れない。

だから、人類のの不確定少数にメロディーは天啓のように降り注ぐし、言葉を凌駕して共有できる。

教会で響く賛美歌が、心やすらぐ理由も然り。

音楽はある意味、普遍的な宗教そのものなのかも知れない。


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青髪ツインテール。ニーソックス。

そのモロそっち系のルックスに、「初音ミク」を敬遠している人は多いと思う。

けれど、耳を傾けてみて。

新しい世界がそこにはあるから。

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好きな音楽。聴き続けているのは

オフコース、さだまさし。

そして、ミスチル。

なんとなく、気持ちが、落ち着くので、昨今はずーっとミスチルだった。

けれど、ふとしたきっかけで

「歌に形はないけれど」

を聴き、みくうた を聴くようになっちゃった。

実は、藤田 咲さん(ミクの中の人)の声そのものは、あまり好きになれなくて

ずっと、みくうたは敬遠していた。


音は作れるし、伝えたいものはある。けれど、歌えない。

だから代わりにミクに歌ってもらう、この切ないコンセプトがいつしか、

「歌詞は作れる、けれど乗せるメロディを紡げない人」の力を借り

「情景を描ける人」を巻き込み、一つの強力な作品を世に輩出する。

グーグルクロームのCMで流れたtell your worldは一つの大いなる成果だと、思う。
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誰もがクリエイターとなれる新時代の到来。

おのおのの秘めた感性を、形にすることのできる素晴らしい世界。

他人へ伝えたい想い。

他人と繋がりたいと願う気持ち。

ネット時代で、コミニケーション障害が懸念される昨今であれど、

人間は他人を求める。

誰かと想いを共有したいと願う。

上手に伝えられなくて、苦しみながらも

誰かの役に立ちたいと願う。

この想いを誰もが変わらず持っているという、ひとつの結実した姿、証(あかし)が

初音ミクなのだと思う。

みくうたに、魂が震えるほどの神曲が多いのは、曲数の分母な数もさることながら、

営利目的ではない、純粋な伝えたい純粋な想いがそこに込められているからだと、

あたたかく、そう感じるのだ。

何かを形にしたい、そう願う限り、人は誰でもクリエイターである。

貴賎はない。全て等しく尊い。

人が、死より淘汰される存在であっても、その想いは永遠に残る。



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