巡る季節


「なんで、こんなにミスばかりするんだ。」


「なんで、こんなに体調が悪いんだ。」


「なんで、昨日予習してなかったところがでるんだよ。」


「なんで、4歩もあるいてるんだよ!」


「なんで、新装開店なのにおれの台だけでてないんだよ。」


「なんで、こんなにおれだけ玉まわり悪いんだ。」


「なんで、この待ちがツモれないんだよ!」


思えば、いつもいつもイライラしていた。


現在、コロナの勢力下。


このおさえつけられてる感じがホントにむかつくんすよ!


4日間完全にこもっていて


そのイライラがマックスになり、


えーいこんちくしょう!と


ほんのちょっとだけ、と家を出る。


ドアを開けると爽やかな涼風が。


そして見上げる突き抜けるな青空。


きれいだな。


いつも、いつもイライラしていて、


景色が目に飛び込んでくることなんてなかった。


室内に居続けていたからこそ、感じることのできる


その景色の美しさ。


ああ、今まで「景色を感じるゆとり」すらなかったのだな。


と、痛感する。


よくわからない焦燥感にとらわれ、


よくわからない怒りに包まれ、


結局自分でもよくわからないまま生きている。


よくわからないまま生きて


よくわからないまま、死んじゃう予定。


イライラして、イライラして何も見えなくなる。


その当たり前のイライラの中で生きていたんだな。


んー


イライラするのやめよう。


俺がイライラしようが、どうしようが


景色は変わらない。


イライラしないように、優しくなれないかな。


イライラしないように、優しくなろう。


イライラしないように、優しくなりたい。


実は、現在が自分の人生の終末なのではないか、と思う。


ちょっと自分が思っていたより早い終末。


終末。


そうであるのかも知れない、


と考えると、途端に全てが愛しくなる。


ちゃんと決着をつけて、そして穏やかに生きて逝きたい。


喜びのなかに、悲しみが少し顔を覗くように


悲しみの中から、生まれる喜びもある。


優しい気持ちになれば、きっとみつかる幸せもあるはずだ。


人生の最後の場面での幸せ。それは、もしかしたら、


「穏やかに全うする」ということかも知れない。


あと、どれだけ季節が巡るのか、わからないけれど、


どんな最後がよいかな、って想像する。


最後は、高原で涼風に吹かれて


やはり麻雀を打ちたい。


ひとつひとつの牌に想いを巡らせ


過去を果てしなく振り返る。


誰と打ってるのかな。


誰でもいいな。


全て、大切な時間だった。


白いサイドテーブルには


あたたかい紅茶が揺れている。


その紅茶に口をつけ


はたり、と


眠るように逝きたい。


何処にもたどり着けない


目の前の13枚を慈しみながら。


(仕掛けてるから手牌は4枚かもしれない)



こんな時代だからこそ、


嫌になるくらい現在を大切にしてやろう、と思う。


コロナ明けまでの、我慢、だなんて


そんな屈辱的な時間の使い方はしない。


現在、を噛み締めてみたい。




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