世界の最後に目を閉じて

明日も


きっと今日とかわらない一日が来る。


そう当たり前のように、疑うことすらなく。


けれど、それは実は「優しい勘違い」。


あらゆる事柄は、常に消滅している。


決して戻らぬ、塵芥に。


価値は、現在のこの瞬間にしかない。


不変なものなど、存在しない。


だから、もっともっと


大切に生きなければならなかった。


2度とない。


と噛みしめながら。


「まあ、いいや。」


「今度でいいや。」


その場でのベストチョイスは


実はすべて間違っていた。


後回しにして、


おろそかにしてよいものなど


あろうはずがないのに。


目を閉じて、暗闇を思う。


思えば、人生とはきっと


暗闇の中、光を探しているようなもの。


営みを重ね、そのわずかな光を支えに


歩いてゆくもの。


人生を閉じるために必要なことは、


その終焉を克服する勇気ではなく、


自分の人生の暗闇にいくつ光があったのか、


を慈しむこと。


そうすなわち自分の人生を「受け入れる気持ち」だ。


そういう風に思う。


悔いが残らぬよう。


まあ、どう生きても悔いは残るのだろう。


だけれど、それでも


おろそかにしなかった道のりであれば


目を閉じ、「これでよし」と、


暗闇の温かさを感じながら


逝けるのではないか、と思うのだ。


先人たちがそうであったように


私も私の物語は、しっかりと閉じたい。


生きるっていくことは、


きっとそういう準備のことなのだ、と思う。


そう考えたとき、


世界は果てしなく美しく、


風の音はやさしく、


人の心は、あたたかく、


その様相を変える。


世の中、きっと、それでも


そんなに悪くない。


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