障害について [哲学するパラロス]

我が母校の中学は、社会福祉協力校だったようだ。

1学年、5クラス。

その内のひとつのクラスが、聾唖学級。

私の居たクラスだ。

30数名の男女の中に、3名だったかな、聾唖者がいた。

けれど、その時も、そして今も、彼らを障害者だ、などと感じたことはない。

それは、うちのクラス、全員が同じ感覚。

意識する必要もなかった、と思う。

自分でできることは、みんな自分でやっていたし。

ただ、「うまく話せないから、筆談なんやろーね」くらいの感覚。

面倒だとは感じない。

先輩たちも、先生も親も自然に区別なく過ごしていた。瑣末な差異だと言わんばかりに。

絵のうまいやつもいたし、運動が好きなやつもいた。

絵のうまい奴のことは、漫画家を目指していたので、俺の方がうまいとめちゃめちゃけなしていた。

実際、オレのほうが上手だった。

多分、今でもうまい。

そうして、昨日、週間少年マガジンの読み切りを読む。
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「聾の形」

なるほど、リズムもよく伏線回収もよい。

まだ、コンビニなど売れ残っているだろうから、是非読んでみて欲しい。

読み終わった感想。

これが今の若者の心の中なのかと、死にたくなる。

みんな、自分さえよければ、それでよいのだ。

そう、育てられているのだ。

最低最悪に不幸な世代。

今の時代の中学生に生まれ落ちたならば、自殺をしない自信はない。
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