コーラとコーラフロート [哲学するパラロス]

コーラが好きなのは、えぬぐたん。

そのコーラにアイスを乗せると、コーラフロートになる。

今回、そのコーラの乗せるべき、フロートの部分。

すなわちアイスの部分が消失してしまった。

種島先輩の運んでいるコーラフロートが、コーラに成り下がってしまったのだ。

NEC_0414.JPG

別に最初からコーラだっだと思えばよいだけなのに、どうにも不愉快。

こんな些細なことでも本気で不愉快になるから不思議だ。

例えば、

①落とした一万円がでてくる。

②拾った一万円を落とす。


前者はめっさめさうれしい。

悪いことがあったあとに、よいことがあると、すごくうれしい。

①のケース。ちなみにこれを、心理学ではゲインロス効果という。

並べてくらべてみると、どちらも、プラスマイナスゼロのはずなのに、②のほうはダメージが大きい。


人間というものは、失ったものを重く受け止め、得たものを軽く考える生き物なのだとおもう。

残念な生き物なのです。

失ったものは、最初からなかったもの、ではない。

存在していたのに失ったもの、すなわち消失したものである。

持っていなければ失うこともない。

ということは、「何もモノを持たない人」のほうが幸せなのではないだろうか?

いやいや、それでは、人生寂しすぎるだろう。

ここで、ふと考える。

自分のもの、という執着を持つから、まずいんじゃない?

最初から、「自分のモノだ」、なんて思い込んじゃうものだから、

失うと自分のモノがなくなってしまった、ということで、苦しい。

最初から、誰かのモノを預かっている、とおもえば、だいぶん楽じゃないかしら?

他人のモノと思えば大事にするし。

ものに対する執着を失くし、さらに、モノを大事にできる究極のさくせん!

そうして、考えていくと、ひとつの疑問にぶつかる。

ところで、自分って、自分のモノなの?

まあなんか、自分で動かしている感覚はあるけれど。

自分自身って?

よく考えたなら、勝手に自分のモノだと思い込んでいるだけじゃないかしら?

そもそも、「自分」という概念がどこからきたのか、どこへいくのか?もわからないのに、

自分は自分のモノだなんて、なんだかおかしい気がする。

考えれば考えるほど迷走する。

本当に不思議。

多分、神様っていう概念はこのあたりのなんだか「説明のつかない問題」をクリアーにするために

生まれたのではないかしら?

神様から、借りている命、という意味で。

この「自分」がどこから来たのか、ということはまだしも、

どこへ行くのか?くらいは知りたいものである。

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