世界の終わりに花束を [哲学するパラロス]

日常というものは、かくも残酷にできている。

約束された明日があることは、とても幸せなことなのだけれど、

そのゆとりが、現在という刹那をないがしろにしてしまう。

もし、今日、世界が終わるとして、私はどうするだろうか?

あとまわしにできる、未来を失ったとして、それでも同じように生きてられるだろうか?

また、胸をはって死ねるだろうか?

私の理想の死に方の理想は、建具屋カトーである。

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注 「建具屋カトーの決心」でググってください。

精一杯生きて、「ありがとう、いい人生だった」、とそう心から感謝の気持ちを抱き逝きたい。

けれど、今は、到底その域には届かない。

今日世界が終わるとしたら、死にたくないと、狼狽して、泣き喚くだろう。

思い残すことしかない、と。

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本当に、悲しいくらい平凡な日常に毒されている。

贅沢だけれど、最大の敵は、日常、そのものだ。

せめて。

今日が、世界の最後の日だと思い、大切に生きることができたなら。

誰かに「ありがとう」の花束を贈ってもらえるくらい。

誰かに心から「ありがとう」と花束を贈ることができるくらい。


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