厨②病が治るとき? [残念部]
もう中2の頃は、もれなく厨②病である。
私も当時絶賛厨②病で、世界の滅亡を予見するほどイタかった。
現在の自分は本当の自分ではない。
眠れる力、潜在的な力が、眠っている。
そんな風に感じることは、至って正常だとおもっていたし、今でもそう思う。
自我の確立には、「自分という存在」を意識することが必須。
その時期が中学2年。14歳のときに訪れやすいというだけのお話。
自分の可能性を滑稽なほど信じる、その具現した姿が厨②病なのだ。と思う。
注:ここでいう厨②病とは、妄想癖を拠り所とする幼児性を指す。
そして、厨②病の治癒イコール大人になる。とのコンセンサスです。
特に思春期。
他人と自分の差異を慮りながら、たくさんのことを学んでゆく時期。
人のこの厨②病はいつ治るのか?いつ大人になるのか?
どうなれば大人なのか?
現実だとか妄想だとか、そういった分別が付く大人になった時なのだろうか?
空想を恥ずかしいと、思い知るときだろうか?
夢物語を口にする友人の姿を滑稽に感じる頃からだろうか?
違うとおもう。
これらは、厨②病を抑え付けているだけだと思う。
自分に夢見ることを、「なんとなくおさまりのよい言い訳」でまるめこんでいるだけだ。
本当は夢物語でも、信じていたいはずだ。
すくなくとも、私はそう。
どんな絵空事も可能性をゼロだとは思いたくない。
ドン引きしていただいて、むしろ望むところだ。
本当の厨②病治癒(大人になること)とは、治そうと自我の奥深くに押し込め封印するものではなく、
受け入れる力を持つことだと思う。
理想も現実も妄想も、全てを受け入れることだと思う。
他人の思いや、他人の現実、他人の妄想、願い、
全てを「在るもの」として受け入れる力を持つことだと思う。
空想や妄想だけでは生きていけない。
自分の都合のよいものだけで、世界は構築されていない。
だから、全てを穏やかに受け入れる心の力が必要なのだ、と思う。
理想や夢のない人生などあまりにも寂しいではないか。
そうして、私は現在でも絶賛厨②病である。
注:私が現在精神的に病んでいるとかそんなことはいまさらです。
太古より元気いっぱい。絶賛厨②病です。ええ。
私も当時絶賛厨②病で、世界の滅亡を予見するほどイタかった。
現在の自分は本当の自分ではない。
眠れる力、潜在的な力が、眠っている。
そんな風に感じることは、至って正常だとおもっていたし、今でもそう思う。
自我の確立には、「自分という存在」を意識することが必須。
その時期が中学2年。14歳のときに訪れやすいというだけのお話。
自分の可能性を滑稽なほど信じる、その具現した姿が厨②病なのだ。と思う。
注:ここでいう厨②病とは、妄想癖を拠り所とする幼児性を指す。
そして、厨②病の治癒イコール大人になる。とのコンセンサスです。
特に思春期。
他人と自分の差異を慮りながら、たくさんのことを学んでゆく時期。
人のこの厨②病はいつ治るのか?いつ大人になるのか?
どうなれば大人なのか?
現実だとか妄想だとか、そういった分別が付く大人になった時なのだろうか?
空想を恥ずかしいと、思い知るときだろうか?
夢物語を口にする友人の姿を滑稽に感じる頃からだろうか?
違うとおもう。
これらは、厨②病を抑え付けているだけだと思う。
自分に夢見ることを、「なんとなくおさまりのよい言い訳」でまるめこんでいるだけだ。
本当は夢物語でも、信じていたいはずだ。
すくなくとも、私はそう。
どんな絵空事も可能性をゼロだとは思いたくない。
ドン引きしていただいて、むしろ望むところだ。
本当の厨②病治癒(大人になること)とは、治そうと自我の奥深くに押し込め封印するものではなく、
受け入れる力を持つことだと思う。
理想も現実も妄想も、全てを受け入れることだと思う。
他人の思いや、他人の現実、他人の妄想、願い、
全てを「在るもの」として受け入れる力を持つことだと思う。
空想や妄想だけでは生きていけない。
自分の都合のよいものだけで、世界は構築されていない。
だから、全てを穏やかに受け入れる心の力が必要なのだ、と思う。
理想や夢のない人生などあまりにも寂しいではないか。
そうして、私は現在でも絶賛厨②病である。
注:私が現在精神的に病んでいるとかそんなことはいまさらです。
太古より元気いっぱい。絶賛厨②病です。ええ。
2013-01-19 00:32
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