所信表明 [日常]

幼児期に、だいたいその人間の人格は、形成されるという。
私は巧妙にごまかして、一生懸命になれない自分を他人に悟られないスキルを幼少期に身につけた。
常に「無意識」のうちに結果が駄目だった自分を守る「言い訳」を準備する。過保護だった私の両親は、遅く生まれた子供であったことともあり、それをよしとした。
臆病な我が子を愛しいと思い、望むものを全て与えてくれた。その愛情には、深く感謝するのだけれど、心は偽物である。
本物に憧れる偽物である。
一生懸命、駆け引きなし、小細工なしで戦える人間がうらやましい。そういう人間に憧れている。理屈抜きに人間の力を感じる。
私が、「他人のことを、」考えようとするわけは、実のところ魂のままぶつかり、傷つくことも、傷つけることも怖いからだ。傷つけることも怖い。きっと、こだういう自分の思考そのものが、デフォルトだ。魂がない、空々しさ。

幸いにも、掛け値なしに一生懸命生きている尊敬できる人間が、私の回りにはいる。そういう人たちの瞳を見つめて話せない自分が堪らなく嫌だ。
傷ついてもいい、もう出来るだけ嘘は尽きたくない。失うものも多いだろう。けれど、あるがまま、望む自分になりたい。 

少し話は、変わるけれど、編集王というマンガのラストシーンに、マンガの神様が降りてきて、「魂の価値を競おう」と語る。
「その志なき人間は去れ」と。このマンガの最終回が大好きで、何度も何度も読み返した。

自分の魂で生きたい。
他人のことはどうにもならないけれど、
自分のことは、自分で変えたい。
今年は、今年こそは、一生懸命生きたい。
傷ついてもいい、一生懸命生きたい。
好きなことだけ、楽なことだけ、頑張るのではなく。
耳障りのよい言葉だけを並べるのではなく。
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