水が合わねえ [哲学するパラロス]

相変わらず、痛い。

ごろごろごろごろしている。

目線は完全に小人目線。

眠ること以外にすることがない。

アトピーも帯状疱疹も全て、ストレスが原因。

私にとって、ふるさとを離れている、ということは、それだけでストレスなのだろう。

都会は、水が合わないのだ。

夢を見る。

5本立てくらい、延々と寝ているので、たくさん見る。



ねぎといっしょに、でっちゃんを拾いに苅田へゆき、りえぞうを拾って、FOXへ。

店に着くと、みんないる。

ひいちゃんは、キューを振り回し、だいごは、ひょうひょうとしてデルモみたい。

花台では、Hでちゃんと、いわOさんと、Eがしらさんが、粛々と玉を付く。

ほあほあは、大花火と格闘中。

どうしてそんなに楽しいことがあるの?

っていうくらい、みんな笑っている。

あ、夢だな、こりゃ。だって、いま、九州にいないもん。

楽しい時間には終わりが来る。

いや、楽しいからこそ、終わりを強く意識するのだ。

失ったものは、失っても良いものだ。そう思う。

だが、私の中にまだ残る大切なものの片鱗。

失ってはいない。ただ形を変えて心の奥に眠っているだけなのだ、と思い直す。

年に1.2回しか会えなくてもよい。

もう、2度と会うことがかなわなくったってよい。

それは、間違いなく、「大切なもの」という概念で、私の心に深化している。

人の大切な記憶は風化しない。

過去に囚われることを、よく思わない人も多い。

だが、私はそうは思わない。

そういったプラグマティズムな思考は、無味で、冷たく人間味がない。

過去を回想しているその瞬間だって「現在」だろう?

過去があり、現在がある。

原因があり、結果がある。

全てはつながっているのだ。

返したいたくさんの恩がある。

一人では人間は生きられない。

人間は、誰かの想いに答える為に、生まれてきたのだと信じる。

轢かれたカエルみたいになっている場合ではない。

水が合わないのなら、水に合わせるか、水を合わせるか、どちらかだ。

変えることのできるものは、変える努力を。

変えることのできないものは、そのまま受け入れる努力を。

はよ、治れ。

もういっそのこと、痛いの無視しようかな?

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