きりりんのパパ。 [哲学するパラロス]

全然、関係のないハナシなのだけれど、

私は、高坂桐乃のお父さんが大好きである。

一度口にしたことは必ず守る。

そして、なによりも家族を愛している。

寡黙だが、責任を取ることのできる男だ。

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その背中を見て育った高坂京介もまた、男らしい。

有言実行で、一生懸命。言葉に責任を持つ。

言葉や行動に責任を持つことを考えると、おいそれと調子のよいことは口にできない。

私はおしゃべりで、調子がよいので、この点だけは上京したあと、本当に気をつけている。

だが、最近、そんな私から見ても、自分の行動に責任を取れない卑怯な大人が目に余る。

問題を起こし、他人に迷惑をかけていても、「お世話になりました、ありがとう、身を引きます。」の一言。

最高に最低にウソくさい感謝の言葉である。

幼稚園児のお遊戯だ。

誰に迷惑をかけ、またどうすれば、喜んでもらえるか考える脳みそがないのだ。

周囲に対する想いがないのだ。

全てがフェイクだ。

全くもってどこまでも限りなく自己中である。

若者のお手本になるべき大人が、である。

周りの人間のことなど微塵も考えてはいない。

いや、考えてはいるのだけれど、行動が伴わない。

周囲の人間の気持ちより、自分がかわいいのだろう。

よく死んで責任を取る。とか、辞職して責任を取る。などのハナシを耳にするけれど

ちゃんちゃらおかしい。自分のことしか考えていない。

家族は?残された者はどうなる。

周りの人間を大切にできず何の責任か?

男だったら、戦って死ねばいいのに。

そう短絡的に考えてしまう。

多分、勇気を持ち合わせていないのだと思う。

私も含め、勇気が日常から乖離している。

日常の怖さである。恒常性から逃れられない。

かくゆう自分もずいぶんといい加減に生きてきた。

過保護に育てられ、八方美人で調子がよい。

けれど、ふるさとにいた時分のそれは、思えば、周囲の人間の温かい庇護の結実である。

今でこそ理解できる。

他人の思いやり。

言葉を守った先人たち。かく有りたいと願う。

感謝の気持ちは、限りない。

この気持ちさえ忘れなければ、きっと大丈夫かな、とも思う。

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