1999年には、

空から「恐怖の大王」が降ってくる。

だから、自分たちに未来はない。

そう思って生きていた。


「大予言ゲーム」という

ボードゲーム。

友人の家でオレンジジュースを飲みながら

4.5人で遊ぶ。

私はこのゲームが大嫌いだった。


そもそもこのボードゲームを

購入チョイスした友人の神経を

疑っていた。

陰惨な仕組みのゲーム。

ノストラダムスの大予言は

世紀末に向けてブームになっていて

みな「世紀末」を意識して

いたずらに不安を覚えていた。


みんなで、未来の事柄が描いてある

カードをめくる。

明るい未来を引き当てることを

競う、そういうボードゲームだった。

「戦争」

「飢餓」

「テロ」

「隕石衝突」

「伝染病蔓延」

たくさんの種類のカードのなかに

一枚、「平和」とかかれた

カードがまざっている。

鳩が光に向かってはばたいている。


それをひけばよい。

けれど

それを引くことは、ホントに

至難の技だった。


「終戦記念日」


コロナ。


伝染病が蔓延しつつある今日。

ああ、ノストラダムスの予言でも

細菌に滅ぼされる未来みたいなのが

あったなあ、と思う。

平穏な気持ちで

日々をおくれないという意味では

我々の現在は平和ではないのかも

知れない。

コロナは、我々人類の優れた

コミュニケーション能力の仕組みを

破壊する恐ろしい侵略者だ。


未知の細菌と戦争。


以下私見です。


この戦いに勝つためには、

「社会を守る」という意識が

何よりも大切だ、と思う。



「経済を守る 」ではない。

社会を守ることなしに、

経済を守ることはできない。


「社会を、守る」為には

「自分だけよくても、ダメ」という意識。

社会は繋がっているのだから。

日本は、借金もあるけど

貯金も、ベラボーにある。

全国民の貯蓄、企業の余剰利益、

これらを吐き出してうまく

運用して、3ヶ月近く

都市機能を封鎖すれば、

コロナに勝てるはずなのに。

自分だけ、お金貯めてても

天国まで持っていけるわけではないし

自分の企業だけ助かっても

となりのひとが飢え死にしていては

寝覚めも悪い。

自分の周囲だけ良くても、

結局は意味がないってこと。


最大多数の最大幸福。

これを目指すべき。


ノストラダムスは

どれもおこりうる

悲惨な未来を予言する。


当時は、小学生だった自分は

予言なんて余計なことしやがって

しかも

他人が嫌がること

不愉快に思うこと

ばかり予言しやがって!

とノストラダムスを罵倒したけれど、

でも。


生きている限り、様々な困難が

待ち受けている。

だから、備えること。

平和な日々を大切にな。


というダムスちゃんの

メッセージだったのでは、


と今では思う。


備えて悔いなく生きよう。

その為には

狭量な自分さえよければ、という

物事の捉え方を

社会全体を俯瞰できるように

変えてゆく

人類全体の進化が必要なのでは

ないだろうか?


そういう自分も、

まずは

自分がよくないと嫌なので

なんとも、

「思うだけ、言ってるだけ」

になってしまうのだけれど、

でも、日常から見える

未曾有の危機感に緊張を

感じている。

大変な危機が迫っている。

臆病なビビりな私は

それにどう備えれば

よいのか?ということと

現在を慈しむこと。

そればかり考えている。