明日は、いいことあるかな?


頑張っていれば、いいことあるかな?


いつも、いつも、未来に想いを馳せる。


明るい未来を想像することは、とても、優しくて、幸せを予感させる。


時が重なり、


だが、明るい未来は、辛い現実にかわる。


物を手にする喜び。


ひとと出会う喜び。


できないことが、できるようになる、喜び。


それが、


物を失うかなしみ。


ひとと別れるかなしみ。


できることが、できなくなる、かなしみ。


これまでの、喜びが、全てかなしみにかわってゆく。


なるほど、よくできているな、と思う。


辻褄があうように、よくできている。


かなしみに包まれ破滅へ向かうことが、人生の真実であるならば、


われわれは、年を重ねれば重ねるほど、しあわせ、にはなれない。


結局のところ、しあわせ、幸福感 なんてものは、


「現在」にしか存在しない。


例えば、ふと見上げた夜空が、果てしなく美しい、と感じた。


とか、


ふと、思い出した過去の出来事に、ゆりかごのように包まれた、とか。


とても、些細なこと。


そこにしか、しあわせは、存在しない。


全ては、無に還る。


過去なんて、過去だし、未来なんて知ったことではない。


堅実に生きようが、賢く生きようが、どうせ最後は


からだも、こころもままならなくなって、


全てを置いて、無に還るのだ。


だったら、最初から、何も持たず、何も望まず


ただ、現在の事象を大切にして、


幸福、を感じる、そういう生き方を選ぶほうがよい。


富や名声を求め、損得勘定で生きるプラグマティズムでは、


たどりつくことのできない「幸福」を、


ささやかな日常から、感じ続ける生き方。


そのためには、ささやかであること、だ。と思う。


ささやかに生きよう、そう思いながら世の中を見つめると


これまでと違った美しさに出会うことができる。