ぼくのパチンコ代走

夕方。
退屈なので、誰かいないかな、と
湾岸沿いにある
ラスベガスにゆく。
店内に、友人の姿をみつけ
そのまま麻雀に突入できれば、
と、目論んでいる。
彷徨いてると、肩を掴まれた。
「おう!おまえ、なんしよんか?」
マサカッツだ。
伝説の番長マサカッツ。
マサカッツの恐怖の伝説は
聞き及んでいたので、
めちゃびびり駄目なわたし。
高校のとき、廊下で、大暴れしていた
景色は、私の記憶の中に鮮明だ。
マサカッツは、続ける。
「おう、おまえ、暇なら
頼みがあるんやけどのう。」
なんだろう。びびりながら、
いいよ、と答える私。
マサカッツは、よし、と
頷くと羽根台を指差した。
「おう、俺のかわりに
あの台をしめてくれ!」
ドッキリマン。
なんか、棒みたいなものを持った
役物がついてる羽根台だ。
「終了台をな
開放したんやけどの、
もう、打つのが面倒くさいんや。
おまえ、おれの代わりに、
あの台やっつけてくれ!
と、夏目漱石を3枚もらう。
麻雀を打つ予定の仲間達も
まだ、パチンコを打っている。
私は、終了台なら
そうそう負けはしないだろう、
暇つぶしにはなるわな、と
そのミッションを受けた。
けれど、その3000円もほどなく
飲まれた。
1時間ほどして、マサカッツが
私のところに来た。
「おう、調子悪いみたいやの。
手強いんか?
ほら、援軍じゃ。
頼んだぞ!」
と、さらに1000円札を3枚くれた。
よく鳴くし。
玉は拾うがVには入らず。
結局、最後までドッキリマンは
上皿プレイのまま。
全く出ない。
ハコの出番もなかった。
マサカッツのお金を
6000円も溶かしてしまった。
閉店の音楽寂しい店内で
マサカッツに、惨敗の報告を
する私。
マサカッツは
「手強い台やったな。」
と、遠くを見ると
「打たせて悪かったの。
これで、何かうまいもんでも
食うてくれ!
今度、飲みに行こうな!」
と、さらに2000円くれた。
灯りが消え始めるラスベガスを
後にして
フルスモークのY3グロリアで
夜の街に消えるマサカッツ。
いきなり、なんか
スケールの大きなことが起きた。
わたしは、そのあとの
麻雀中に、仲間に
「マサカッツとの出来事」を話す。
けれど、マサカッツからもらった
2000円はそのまま、自分のポケッツの
なかに、押し込んで独り占めした。
なんか借りができたな。
今度マサカッツに会うことが
あったなら、代打ちは頑張って
Vゾーンに入れまくって
終了しまくってやるぜ!
と、思った。
思うだけ思った。
20歳の頃の思い出だ。
ちなみに、麻雀はもちろん
朝まで打った。
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明日のかつ丼

資格を取り、保険代理店をはじめる。


実家の建築設計事務所との兼業。


兼業の保険代理店だ。


名刺をつくり、機会があれば、と
控えめに日々を送る。
::::
かつ丼が大好きだ。
多分一番好き。
蕎麦屋に行くと、まずかつ丼。
わたしの脳内にはいつしか
「かつ丼マップ」ができあがっているほど。
いつも見慣れている
家の近所の景色のなかに
見慣れぬ看板をみつける。
黄色の下地に少し跳ねた黒い文字で
「かつ丼」と読める。
私は、慌ててクルマをとめ、店内へ。
カウンター席が4つに
テーブル相席が2つ。
狭い店内の壁には
「かつ丼」550円
「かつ丼大」650円
の2つの張り紙。
そして調理カウンターのむこうに
まだ慣れない表情の「店主夫婦」の不器用な笑顔。
私は「かつ丼大」を注文。
出てきた「カツ丼」はめちゃめちゃ美味しかった。
友人、知人に宣伝しまくり。
私は俄然通い詰める。
昼も夜の「かつ丼」なんて日もあるほど。
通いつめているうちに
常連との会話が聞こえてくる。
「かつ丼」を食べて帰るだけの自分の耳にも
このお店の色々な情報が入ってくる。
「借金まみれで店を開いたこと。」
「人生を賭けていること。」
「かつ丼を愛していること。」
「いつか、大きなカツ丼屋にしたい、ということ。」
そして
「家賃もかつかつで保険にもはいっていないこと。」
どうやら、店主は火災保険は保険料が高額で
保険の加入はむつかしいと判断しているようだ。
「そんなことはない。この規模の店舗なら
保険料はそんなに大きくないですよ。」
と喉まででかかったけれど
大切なプライベートエリアである「かつ丼」の席で
仕事のハナシをすることが、
なんだかとても下世話な気がして、
話しかけることができなかった。
火災なんてそんなに簡単に発生しないけれど、
「かつ丼」は「かつ」を油で揚げる。
安普請の店舗なら、そのリスクは少なくはない。
けれど、その時の私は、保険の
「仕事のハナシ」を仕掛けることができなかった。
生活には全く困っていなかった当時の私は
保険の契約が欲しいわけでもなく
「自分が仕事を欲しがっている」と
思われることが嫌だった。
「余計なお世話だ」
と自分に言い聞かせる。
相手のことを真剣に考える想像力もなかったし
また、他人に話しかけてゆく「勇気」もなかったのだ。
数ヵ月後。
消防車のサイレンの音が鳴り響く。
もしや、と思い音のする方向へ。
モクモクとあがる黒煙の隙間から
黄色い「かつ丼」の文字が見える。
その景色の中に、肩を落としている
店主夫婦の姿がみえる。
「あ、あ、あ」
わたしは、とてつもない後悔に襲われる。
声をなくし、ごうごうと燃える炎と
黒煙を瞳に映し続ける。
結局、店主は火災保険には加入しておらず
その「かつ丼屋」は火災によって閉店となった。
翌日の朝刊で知る火災の理由。
「油がとんだ」。
美味しい「かつ丼」を描くために
頑張った油が、うっかり燃え移ったのだろう。
私は、もう2度とあの「かつ丼」を
口にすることができなくなった。
あの、めちゃくちゃ美味しい「かつ丼」を
「かつ丼」の明日を
あの店主の未来とともに 永遠に失ったのだ。
リスク管理は店主の仕事。
だが、私とあの「かつ丼屋」には
繋がりがあった。
「かつ丼」を通して大切なものはそこにあったのだ。
そのことをおろそかにしたことへの、私への罰なのだ。
あれから、25年。
以来、例え相手に嫌われたとしても
「伝えるべきことは、伝える」ようにしている。
相手と、そしてなにより自分の明日を失わないために。
とはいえ
「伝え方が下手くそすぎ」て、うまくいかないけれど。

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ふぁみ通から見える未来



高校3年生


進学と就職で


グループが別れる。


わたしは、進学。


通っていた高校は新設進学校。


毎日、朝7時から課外授業がある。


知識を詰め込み、志望校を、その先の未来を目指す。


夏ともなればみなピリピリしていた。


そんな大変な受験戦争の最中にありながら


わたしの頭の中はゲームしかなかった。


剣を持って、野原や洞窟を散策。


地球を守るために、戦闘機に乗る。


部屋で勉強をするふりをしてゲーム。


塾の帰りに、10円玉だけが入っている


巾着をを持って10円ゲームセンターへ。おう


電子の世界に魅了される。


眼前に広がる美しい景色に心を奪われる。


愛読書は「ファミリーコンピューター通信」。


少ないおこづかいではあったけれど


ファミ通は別腹。


ファミ通は隅から隅まで、その記事をおろそかにはしない。


他人の作ってくれたものを楽しむ日々のなか、


「なにかをつくる仕事」をしたい、と密かに思っていた。


ファミ通を読みながら、いつもそう思っていた。


ファミ通の立ち読みは許さない。


毎晩、ファミ通を見ながら眠る。


ある日


その紙面に、セガの「社員募集」の広告を見つける。


これだ!


と思った。


「あなたの想像力が未来をつくる」


とかそんなコピーが走っていた記憶がある。


「これしかないだろう。」


わくわくする。


大丈夫だ。


コンピューターなら、たくさん持っている。


ファミコン。


PCエンジン。


MSX。


セガにいたっては、マーク3をもっている。


任天堂やナムコやコナミよりも


セガが大好きだ!って


心から言えるよ、本当だよ。


その広告を見た次の日、


私は、友人たちに、その熱い胸のうちを伝える。


「は?馬鹿か?」


「おまえ、死んだほうがいいぞ!」


「マシン語わかるんか?」


「ベーシックはできるんか?」


「ちゃんと勉強したほうがいいぞ。いろいろ。」


「まじめに生きたほうがいいぞ。」


謎の呪文を携えて


温かい言葉が返ってきた。


「そもそも、おまえ、文系やん。」


数学がハクション大魔王並に


ダメなわたしは、私立文系。


まったく思いがけない自分のポジションに


一瞬うろたえたけれど


「ゲームのことは、これから覚えますので


よろしくお願い申し上げます。」と


万が一の可能性にかけ、


自身の思いの丈を載せて、セガの募集に応募する。


季節は巡り。


落ち葉と粉雪の季節を過ぎ


桜が散る。


ちゃんと受験に失敗して、


ふと気が付くと麻雀を覚えてしまっていて、


自分の人生は予想どおりの展開を迎える。


あれから、30年。


ふと思うことは、実は


ファミ通も大好きだったのだから、


アスキーを目指せばよかったのでは。


その発想がなかった。


いつか、ぼんやり、そちら方面にいければいいな


くらいの、ゆるゆるの感覚しか持ってなかったから。


モノをつくる仕事がしたかったはずなのに


気が付くと手役ばかりつくって、今日に至る。


どんな道程であっても、たどりつく今日、が


このようなこの日であるのなら、


やりたいことは、後回しにせず


全部やっておいたほうがいいよな。


と、改めて思った。


できるだけ、悔いのないように生きないと


きっとうまく死ぬこともできないだろう、と。


後回しにしてもいいこと、っていうのは


きっとどうでもいいことなのかも知れないけれど


これからは、人生の残り時間も少なく


後回しにする「後」がなくなってゆく。


年を重ねるごとに、できることは減ってゆく。


いつか、動けなくなり目を閉じる日が来るのだ。


悔いるのは、死んでからで良い。


これからは、(できるだけ)年甲斐もなく


「どうせ、ダメでもやってもみよう。」


を座右の銘にしたいと思う。


いまさらだけど。











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らーめんはうす


人口100万人の政令指定都市として、
近隣五市の合併によって生まれた。
北九州市。
高度経済成長期をノリノリで駆け抜ける。


北九州市の小倉北区。


旦過市場。


魚町銀天街。


活気に満ちている。


そのせいか



通っていた小学校は


商売人の子供ばかりだ。


8歳の頃。


土曜日のお昼は外食。


小学生ながら贅沢だとの声もあるだろうけれど


仕事をしている家庭の事情で


給食のない土曜日は、どうしても


わたしのお昼の準備はできないのだ。


午前の授業が終わり、


母親から、500円札をもらう。


焼き鳥屋のSくん。


魚屋のMくん。


いっしょにお昼を食べにゆく。


手持ちは500円。


Sくんが、新しいラーメン屋ができた、というので


その日のランチはラーメンに。


ラーメンなんて、大人の食べ物。


屋台でしか食べられない代物だ。


それを、お昼食べる、なんてめちゃナウいじゃん?


その新しいラーメン屋の名前は「らーめんはうす」。


わたしは、母親に誇らしげに


ラーメンを食べにゆくハナシをする。


平仮名の店名に親しみを感じながら、店内へ。


らーめんは280円


おにぎりが2つで、80円


チャーシューメンは330円


わたしは、らーめんとおにぎりをたのみ


店内を見回す。


ゆるゆるのクロス。


手書きのメニュー。


箱のティッシュがそのまま置いてあるあたり


高級感はゼロ。


オレンジで塗られた店内はセンスゼロだ。


新装開店の花輪が出ているのに、店内に客は誰もいなかった。


「ぼうず、らーめんできるまで、漫画でも読んでなさい。」


小奇麗な格好をしたマスターがにっこりと本棚のほうをみる。


そこには、少年ジャンプが並んでいた。


俺たちは、そこに並んでいるジャンプを手に取り、読みあさる。


ジャンプなんて、大人の読み物。


ドキドキしながらページをめくる。


キン肉マンの連載が始まった頃だった。


夢中で読みあさる。


やがて、らーめんがでてくる。


「ほら、サービスじゃ。」


マスターはゆでたまごをみなのラーメンに放り込んだ。


口にした瞬間、なぜ、この店に客がいないのか、理解できた。


「う、うーん」


「おれの知ってるラーメンとちがう・・・」


けれど、もしかしたらこれが大人の味、本当のラーメンなのかもしれない。


正直、ビミョウな味なのだ。


けれど、昆布と明太子のおにぎりはめちゃ美味しかった。


ほかにも、高菜のおにぎりがある様子だ。


マスターがわれわれの反応を見ている。


視線を感じる。


ラーメンを食べ終わりジャンプを閉じて


われわれが席を立とうとすると、


「漫画、ゆっくり読んでいきな。」


とマスターは嬉しそうに笑う。


そして、われわれが店をでるときに


「ありがとうございました。」


とマスターの明るい声が店内に響いた。


その夜、わたしは母親に、「らーめんはうす」での


出来事を手振りを加えて伝える。


漫画を読ませてくれたこと。


サービスでたまごがでてきたこと。


おにぎりが美味しかったこと。


なによりも、マスターにちゃんとお客として


扱ってもらえたことが、うれしかった。


母親は、いつものように


「よかったね。」


と優しく微笑む。



それから、毎週われわれは、らーめんはうすに通う。


常連、ってやつだ。


クラスのみんなにも、担任の先生にも


らーめんはうすのハナシをする。


正直、ラーメンは美味しくない。


けれど、それは私たちが子供で、まだラーメンの味を


知らないからだ。


陳腐に見える店内だけれど、


ラーメン屋というより、マクドナルドに近い雰囲気。


ゆっくりした気持ちになれるのだ。


それから一月ほどたった、とある夕方。



うちは母親が姉妹で商売をしていた。


2階が洋装店、1階が喫茶店。


わたしは、たまに1階の喫茶店で


アイスミルクを飲んだりしていた。


狭すぎる店内だけれど、


とにかくサラリーマンが多く


いつも盛況だった。


タバコの煙の中の笑顔。


わたしのとなりの座った新聞記者らしい


サラリーマンが、吐き捨てるように言う。


「あんな、まずいラーメン食えたもんやない。」


「よく、あれで店を出せたもんじゃ。」


話を聞いていると、どうやら


われわれの「らーめんはうす」の悪口を言っているようだ。


「置いてある漫画も汚いし。」


「マスターは無愛想だし。」


残酷に続く言葉に包まれ、


わたしは、涙がぽろぽろ出てきた。


漫画が汚いのは、私たちが乱暴に読み漁っていたからだ。


マスターごめん。


ラーメンだって、不味くはない。


ラーメンはともかく、おにぎりはめちゃうまいし。


マスターは優しい。


小学生のわれわれを、ちゃんとお客として、大事にしてくれている。


泣いているわたしに気づいた母親が、


わたしの頭を優しく撫でて


「おかあさんも、らーめんはうす、


一回いってみようかね。」


とまた優しく微笑んだ。


それから、わたしは、どんなに対応が悪い店でも、


悪口を言うことだけは、絶対にしないように気をつけている。


味について、不満があっても


余計なことは言わない。


自分にあわないのであれば、行かなければよいだけだ。


それから、奇しくもらーめんはうす、は20年くらい営業を続けていた。


思えば、


らーめんはうす、のらーめんは、さっぱりしたとんこつ味で、


屋台ラーメンが正義の当時の小倉では、


人気がでなかっただけだった、のだ、と思う。


あれから40年。


もはやらーめんの味は覚えていないけれど


マスターの笑顔は、現在でも、鮮明に覚えている。


優しい記憶は、永遠に色褪せることを知らない。




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巡る季節


「なんで、こんなにミスばかりするんだ。」


「なんで、こんなに体調が悪いんだ。」


「なんで、昨日予習してなかったところがでるんだよ。」


「なんで、4歩もあるいてるんだよ!」


「なんで、新装開店なのにおれの台だけでてないんだよ。」


「なんで、こんなにおれだけ玉まわり悪いんだ。」


「なんで、この待ちがツモれないんだよ!」


思えば、いつもいつもイライラしていた。


現在、コロナの勢力下。


このおさえつけられてる感じがホントにむかつくんすよ!


4日間完全にこもっていて


そのイライラがマックスになり、


えーいこんちくしょう!と


ほんのちょっとだけ、と家を出る。


ドアを開けると爽やかな涼風が。


そして見上げる突き抜けるな青空。


きれいだな。


いつも、いつもイライラしていて、


景色が目に飛び込んでくることなんてなかった。


室内に居続けていたからこそ、感じることのできる


その景色の美しさ。


ああ、今まで「景色を感じるゆとり」すらなかったのだな。


と、痛感する。


よくわからない焦燥感にとらわれ、


よくわからない怒りに包まれ、


結局自分でもよくわからないまま生きている。


よくわからないまま生きて


よくわからないまま、死んじゃう予定。


イライラして、イライラして何も見えなくなる。


その当たり前のイライラの中で生きていたんだな。


んー


イライラするのやめよう。


俺がイライラしようが、どうしようが


景色は変わらない。


イライラしないように、優しくなれないかな。


イライラしないように、優しくなろう。


イライラしないように、優しくなりたい。


実は、現在が自分の人生の終末なのではないか、と思う。


ちょっと自分が思っていたより早い終末。


終末。


そうであるのかも知れない、


と考えると、途端に全てが愛しくなる。


ちゃんと決着をつけて、そして穏やかに生きて逝きたい。


喜びのなかに、悲しみが少し顔を覗くように


悲しみの中から、生まれる喜びもある。


優しい気持ちになれば、きっとみつかる幸せもあるはずだ。


人生の最後の場面での幸せ。それは、もしかしたら、


「穏やかに全うする」ということかも知れない。


あと、どれだけ季節が巡るのか、わからないけれど、


どんな最後がよいかな、って想像する。


最後は、高原で涼風に吹かれて


やはり麻雀を打ちたい。


ひとつひとつの牌に想いを巡らせ


過去を果てしなく振り返る。


誰と打ってるのかな。


誰でもいいな。


全て、大切な時間だった。


白いサイドテーブルには


あたたかい紅茶が揺れている。


その紅茶に口をつけ


はたり、と


眠るように逝きたい。


何処にもたどり着けない


目の前の13枚を慈しみながら。


(仕掛けてるから手牌は4枚かもしれない)



こんな時代だからこそ、


嫌になるくらい現在を大切にしてやろう、と思う。


コロナ明けまでの、我慢、だなんて


そんな屈辱的な時間の使い方はしない。


現在、を噛み締めてみたい。




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脆弱な人類の誤謬




自宅ですごす。


積んでいた本を読む。


こりゃいいわい。


と、おもっていたのは、ほんの少しのじかん。


ストレスがたまってなんかおかしい。


ああ、こんなにも脆いのか、と思う。


てんとう虫や、カナブンは


雨が続けば、葉っぱの下で何日でも我慢できる。


単体でへいちゃらなのだ。


けれど、人間は違う。


どこまでも社会的動物で


他者との適切な関係がないと


自我が保てない。


他人がいないと、自分の存在を保てない。


そう考えると、昆虫より脆弱な存在かもしれない。


ふと思う。長い人生で、こんな風な


静かな時間って実は結構貴重かもしれない、と。


ひとりでいると、思考は深化する。


わたしは、ふと本を閉じ、目を閉じ


これまでの歳月を振り返る。


きっと、今回みたいな状況でなければ


ゆっくり人生を振り返る時間は、


もうその「自分にとっての未来の時間」を


失ってしまってからだ。多分。


そう考えると、この自粛の時間も尊く思える。


未曾有のウイルスと、人類の戦い。


我々は、孤独と不自由に耐え、


高尚なおのおのの精神を磨いて戦う。


それこそが教養で、昆虫にはないわれわれの最大の武器だ。


復活と再生のその時間を待ち望みながら、思考を重ねよう。


どうか、理不尽な苦境に


未来を絶たれることなく、


乗り越えることができますよう。


国難なのだから、激痛が一部のひとを襲う社会ではなく


その痛みをみなで少しづつ分け合うことができるとよい。


第3次産業は、人類の文化。


健康で文化的な最低限度なくらし、には欠かせないものだ。


生きていればよい。


ではない。人間らしく生きることが大切なのだ。


一部の業種の方のみが


地獄に落ちるような社会であってはならない。


おれは、死にたくなし、失業もしたくない。


だれかに死んで欲しくもないし、失業して欲しくもない。


みんな同じ気持ちだと思う。


みんな同じ気持ちだから、きっとだいじょうぶだ、って思いたい。















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ぼくのわたしのトイレットペーパー



トイレットペーパーロールに、


ひとつ。


棚にひとつ。


これがわたしの持っている


トイレットペーパーのすべて。



トイレットペーパー買い占め、


なんて報道されているときにも


「現在はこまってないからいいや」


と、そう思っていた。


けれど、現在、


トイレットペーパーの備蓄がピンチ。


考えて、胸をなでおろす。


思い出したのだ。


そう、とても綺麗なトイレを完備している


パチ屋さんのことを。


昔はよく、トイレをお借りしたお礼に着席!


1本だけスロを回す!


なーんてこと、よくやってた。


なので、本当に我が家のトイレットペーパーが


完全に枯渇したのであれば、


私は、100円玉を持ってパチ屋にゆく。


そして、その清潔なトイレを使わせていただき


100円だけ、その使用料金として、スロを回すのだ。


(現在は、100円で回せるスロもあるんだよ!


まあ、100円が200円になるかも知れな

いけれど)

たまたまお金が増えたなら、その時は

モノホンのトイレットペーパーを買え

ば良いわけだし。


そう考えると、ぼくのトイレットペーパーは


日本中に存在している。


なんの不安もない。


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生きることは、戦うこと。

自分でできることが、できなくなる。


仕方ないではすまされない。


見えない。


聴こえない。


歩けない。


これまで、当たり前にできていたことが


当たり前に、できなくなる。


老い、の圧倒的な残酷さ。


一番辛いのは、誇りへの侵食。


他人のちからを借りなくてもできている、


という当たり前のことが


支えていた大切な矜持。


誇り。


その誇りを守る為に


例えば、自身の動かない体と戦う。


老いた父親を持つ私は、


その不自由な日常が


どんなにタイヘンな様子でも


こちらから手を差し出すことはしない。


こちらの気持ちが辛くても、どんなに


辛くてもひたすら我慢する。


タイヘンそうだから、助ける。


そんなことは偽善で


親孝行でもなんでもない。


大切なことは、父親の誇りを、まもること。


自分の力で這ってでも生きる。


それが、ヒトとして生きる、ということ。


父親は、一切の甘えを口にせず


ただ毅然とそして、優しくこの世界を睥睨する。


他人の世話にはならない。


他人の力になりたい。


かんたんなその生き方を


私はとても大切なことだ、と思うのだ。


生きること、は戦うこと。


必死に、きっと、


みんな、戦って死ぬのだ。


あなたも、わたしも。







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もはや人ではない

生まれて死ぬまでは一瞬。


未来のほうを向けば、たくさんの時間が


溢れているような気分になるけれど


過去を振り返るならこれまでの


自分の歴史は一瞬だったようにも思う。


一炊の夢。


儚い。


どうせ最後は、死ぬのだから


何をどう重ねても意味がない。


あの世まで、何をもっていけるわけでもない。


ならば、楽なことに包まれて


暮らしたほうが賢い。


好きなことだけ重ねて生きたほうが


賢いような気分にまでなる。


けれどそうなってしまってはおしまいなのだ。


無駄だ、と思っていながら


それでも、大切に重ねる、ということに意味がある。


鍋から直接ラーメンを食べたり。


どうせ朝また、着るのだ、と


制服のまま寝たり。


また、明日出社するのだからと


会社に泊まったり。


どうせ、消化して野に放つのだから、


ともはや、何も食べなかったり。


そんな風になってしまっては


それはもう人間ではない。


楽な暮らしに意味はない。


健康で文化的な暮らしには手間がかかるのたけれど


実はそれは、とても愛しいことなのだ。



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旅人

古い曲となってしまったけれど。


Mr.Childrenの「旅人」という曲を聴いている。


その歌詞に心打たれたあの日。


到達点が「同じ」であれば


その道中は平坦でないほうがよい。


どのみち最後は、決まっているのだから


少しでもたくさんのことに、


挑戦したほうが絶対によい。


この曲を初めて聴いた時の


自分はまだ若くて、


そのように思っていた。


けれど


年を重ねると考え方が腐ってきて

 

「どうせ同じ結果なら、やらないほうが


楽で合理的」とか考えるようになってくる。


損得でモノを考える。


そこには、感動や、生きる喜びはない。


(生まれにくい)


合理的な思考に感動はないのだ。


だから、感性が枯れてゆくのだ。


人生に感動を。


豊かな感性を。


老いて、わかった様子で


楽をして怠けて生きてはいけない。


「やってみる」


今年の抱負はこれだ。









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