世界の最後に目を閉じて

明日も


きっと今日とかわらない一日が来る。


そう当たり前のように、疑うことすらなく。


けれど、それは実は「優しい勘違い」。


あらゆる事柄は、常に消滅している。


決して戻らぬ、塵芥に。


価値は、現在のこの瞬間にしかない。


不変なものなど、存在しない。


だから、もっともっと


大切に生きなければならなかった。


2度とない。


と噛みしめながら。


「まあ、いいや。」


「今度でいいや。」


その場でのベストチョイスは


実はすべて間違っていた。


後回しにして、


おろそかにしてよいものなど


あろうはずがないのに。


目を閉じて、暗闇を思う。


思えば、人生とはきっと


暗闇の中、光を探しているようなもの。


営みを重ね、そのわずかな光を支えに


歩いてゆくもの。


人生を閉じるために必要なことは、


その終焉を克服する勇気ではなく、


自分の人生の暗闇にいくつ光があったのか、


を慈しむこと。


そうすなわち自分の人生を「受け入れる気持ち」だ。


そういう風に思う。


悔いが残らぬよう。


まあ、どう生きても悔いは残るのだろう。


だけれど、それでも


おろそかにしなかった道のりであれば


目を閉じ、「これでよし」と、


暗闇の温かさを感じながら


逝けるのではないか、と思うのだ。


先人たちがそうであったように


私も私の物語は、しっかりと閉じたい。


生きるっていくことは、


きっとそういう準備のことなのだ、と思う。


そう考えたとき、


世界は果てしなく美しく、


風の音はやさしく、


人の心は、あたたかく、


その様相を変える。


世の中、きっと、それでも


そんなに悪くない。


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記憶喪失になりたい

むかし、ジャンプで「マインドアサシン」という漫画を読んだ。


主人公に、「記憶を消す能力」がある。


そういう話。


記憶を消してほしい。


人生に慣れなんていらない。


日常とは、実は最大の害悪で


「ああ、これはこうしたほうが得だね。」


とか、

「これは、どうせ」


とか、


すぐにそんな思考になる。


記憶がなくなれば、


たるい車の運転だって、わくわくするだろうし、


PCを起動させるだけで、ときめく。


自動改札、うお、スゲー!


とかなる。


記憶がなくなれば、過去に縛られず


我執もなく、未来のことで気持ちは満たされる、はず。


過去は生ごみ。


その言葉を聞いたとき、そんなひどいこと、言わないで。


と思ったけれど、過去は生ごみです。


でもね。思い出は宝物なの。


思い出までも生ごみにしないために


過去と決別をして、未来に向かわなきゃいけない。


そうしないのであれば、


本当になにもかも、どこまでも


残酷なくらい無意味だ。



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ジャンプ 刻を超えて

リンに妹がいたこと、忘れていた。


どんな作品でも、少々のことは


覚えている、と思っていたのに。


特にジャンプの黄金期の作品については。


あの頃は作品数が少なかったし


内容も激熱だから、何度も読み返していた。


かっこいいシーンはノートに模写していた。


カラーページが好きな作品だったりした場合は


2冊買ったりして。


記憶のほつれを修正するために


北斗の拳を再読しよう。


特に、拳王のあとのおはなしを。



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